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海道
「海道〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
海道の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或敵打の話」より 著者:芥川竜之介
《かたき》兵衛《ひょうえ》の行《ゆ》く方《え》を探って、五畿内《ごきない》から東
海道をほとんど隈《くま》なく遍歴した。が、兵衛の消息は、杳《よう》として再び聞え....
「古千屋」より 著者:芥川竜之介
のあるものでございました。」
家康は初めて微笑《びしょう》した。人生は彼には東
海道の地図のように明かだった。家康は古千屋の狂乱の中にもいつか人生の彼に教えた、....
「カインの末裔」より 著者:有島武郎
脚《ちんば》をひきながら三、四間も離れてその跡からとぼとぼとついて行った。
北
海道の冬は空まで逼《せま》っていた。蝦夷富士《えぞふじ》といわれるマッカリヌプリ....
「小さき者へ」より 著者:有島武郎
中に拡《ひろ》がったのは今から思うと七年前の事だ。それは吹雪《ふぶき》も吹雪、北
海道ですら、滅多《めった》にはないひどい吹雪の日だった。市街を離れた川沿いの一つ....
「小作人への告別」より 著者:有島武郎
笹《くまざさ》と雑草の生い茂った密林でした。それが私の父がこの土地の貸し下げを北
海道庁から受けた当時のこの辺のありさまだったのです。食料品はもとよりすべての物資....
「星座」より 著者:有島武郎
んだのが園に対して気がひけた。吉田というのは、まだ若くって頭のいい人だったが、北
海道というような処に赴任《ふにん》させられたのが不満であるらしく、ややともすると....
「初めて見たる小樽」より 著者:石川啄木
大部分に向って試みたかを。また見よ、北の方なる蝦夷《えぞ》の島辺、すなわちこの北
海道が、いかにいくたの風雲児を内地から吸収して、今日あるに到ったかを。 我が北....
「弓町より」より 著者:石川啄木
り、ただ寒い処であった。時は一月末、雪と氷に埋もれて、川さえおおかた姿を隠した北
海道を西から東に横断して、着てみると、華氏《かし》零下二十―三十度という空気も凍....
「生まれいずる悩み」より 著者:有島武郎
の闇に変わって行こうとしていた。午後になったと思うまもなく、どんどん暮れかかる北
海道の冬を知らないものには、日がいち早く蝕まれるこの気味悪いさびしさは想像がつく....
「親子」より 著者:有島武郎
背負い繩とを腰にぶら下げていた。短い日が存分西に廻って、彼の周囲には、荒くれた北
海道の山の中の匂いだけがただよっていた。 監督を先頭に、父から彼、彼から小作人....
「我が宗教観」より 著者:淡島寒月
その意が分らずにしまったというような話もあります。その頃高崎の大河内子と共に、東
海道の旅をした事があって、途中荒れに逢って浜名で橋が半ば流れてしまった。その毀れ....
「歯車」より 著者:芥川竜之介
一 レエン・コオト 僕は或知り人の結婚披露式につらなる為に鞄を一つ下げたまま、東
海道の或停車場へその奥の避暑地から自動車を飛ばした。自動車の走る道の両がわは大抵....
「一利己主義者と友人との対話」より 著者:石川啄木
特待生だよ。 A 許してくれ。おれは何よりもその特待生が嫌いなんだ。何日だっけ北
海道へ行く時青森から船に乗ったら、船の事務長が知ってる奴だったものだから、三等の....
「北海道に就いての印象」より 著者:有島武郎
私は前後約十二年北
海道で過した。しかも私の生活としては一番大事と思われる時期を、最初の時は十九から....
「浅沼稲次郎の三つの代表的演説」より 著者:浅沼稲次郎
国に帰すことはやむを得ぬとするも、南樺太、千島の領土権を失い、歯舞、色丹島は、北
海道の行政区にあるにもかかわらず、ソビエトの占拠するところとなり、奄美大島、沖縄....