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海道筋
「海道筋〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
海道筋の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
をさそい出して鈴ヶ森で殺してしまい、文次郎から百両の金を奪い取った上に、奥様を東
海道筋の宿場女郎に売り飛ばすという、重々の悪事を企んでいたんです。そこで二十五日....
「乱世」より 著者:菊池寛
かった。彼らは藩の面目にかかわる一大事だから、どうあっても探し出すと揚言した。東
海道筋には、官軍が満ち満ちている故に、江戸へ下り得るはずはない、近在に潜んでいる....
「菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
が、今更見棄てることも出来ないが、美濃の南泉寺までは是非|行かんければならん、東
海道筋も御婦人の事ゆえ面倒じゃ、手形がなければならんが、何うか工風をして私がお送....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
であった。 「このたび、異国船渡り来り候につき、江戸表はことのほかなる儀にて、東
海道筋よりの早注進矢のごとく、よって諸国御大名ところどころの御堅め仰せ付けられ候....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
て、豊川稲荷から秋葉山へかけての参詣を済まして帰村したものの話に、旅人の往来は東
海道筋にも至って寂しかったという。人馬共に通行は一向になかったともいう。街道もひ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
が許さないからであった。この東京行きには、彼は中仙道の方を回らないで美濃路から東
海道筋へと取り、名古屋まで出て行った時にあの城下町の床屋で髪を切った。多年古代紫....
「敵討札所の霊験」より 著者:三遊亭円朝
番美濃の谷汲まで打納めまする。其の年も暮れ翌年になると、敵を捜しながら、段々と東
海道筋を下って参り、旅をすること丁度足掛三年目の二月の五日に江戸へ着致しましたが....
「艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
左近と合せて、その頃の三宗匠と称えられた名誉の茶人であった。 貞昌があるとき、
海道筋に旅をして宿屋に泊ったことがあった。ちょうど冬のことだったので、宿屋の主人....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
が、頭の上は本堂の広間、いっぱいに人で埋まっているような様子。階段から庭、庭から
海道筋の方へかけては、人の足音がしきりなく聞える。 本堂の中にはいっぱいの人が....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
に定宿というのは無かったが、幕府の親藩に準じたという訳か、外の外様や譜代よりは、
海道筋でも何となく勢力があるらしく、『松山様』といえばどこでも快く宿を引受けた。....
「落語・教祖列伝」より 著者:坂口安吾
「これは、どうも恐れ入りました。手前のは唐渡り祥碌流という皿まわし、それから、
海道筋を興行中に、彦根の山中にて里人から習い覚えた鳥刺しの一手、その後に美濃、熊....
「間人考」より 著者:喜田貞吉
一種の階級の民衆があった。山陽道筋でチャセンと云い、北陸方面でトウナイと云い、東
海道筋で説経者またはササラと云い、近畿地方でオンボ(御坊)・シュク(宿また夙)な....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
ていた跡がありまして、最近に控訴院判事の尾佐竹君から写真を贈ってもらいました。東
海道筋や近畿あたりにも随分それがおります。政府の調査なり保護なりが随分行き届いて....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
べたエタの「持ち」と同じく、自分の受持っている家の事をそう呼んでいたのである。東
海道筋では、普通に説教者とも、またササラとも云っていた。前述空也の門流中の編木師....
「春の大方山」より 著者:木暮理太郎
社の前から二町|許西へ行って、甲府に通ずる広い道を北に向って進んだ。昔武田信玄が
海道筋へ出兵する時に、屡軍押しをした道であろう。重く垂れていた雲は次第に雲切れが....