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海関
「海関〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
海関の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
レッテがキリスト教を奉ずる支那人に聞いたは、その頃百また二百虎群を成して広東より
海関に至る、旅人百五十人以上隊を組むにあらざれば旅し得ず、これがため僅々数年間に....
「大震火災記」より 著者:鈴木三重吉
これまで米殻輸出を禁じていたのを、とくに日本のために、その禁令をといたり、全国の
海関税を今後一か年間一割ひき上げて、それだけを日本へおくることを発表しました。も....
「金の目銀の目」より 著者:豊島与志雄
した。 奇術師になった三人は、多くの荷物を持って、大連《だいれん》から船で、山
海関《さんかいかん》に渡りました。山
海関から先は、奇術をやりながら行くのです。 ....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
れ、直接の利益に幾倍せるや知るべからず。 第一に、日本の物産外国に入るときは、
海関税のために非常に高価となり、人これを得ること難し。しかるに外国人日本に来たる....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
って、ポルトガル人を軽賤する風あり。物価の高きは世界第一と称せらる。その原因は、
海関税の重きと労働賃銀の高きとによる。平均の物価表を見るに、英国の三倍、日本の六....
「黒田清隆の方針」より 著者:服部之総
降って湧《わ》いた。いわゆるロンドン公債――正式には「日本帝国政府英貨百万ポンド
海関税公債」――が、ロンドンで発表されたのは一八七〇年四月二十三日(明治三年三月....
「明治の五十銭銀貨」より 著者:服部之総
たれた日英秘密会談のありようであった。同月十二日付のネルソン・レーとの契約書が「
海関税公債」と謳《うた》っているのは、この百万ポンドの抵当に現在および将来の日本....
「上海」より 著者:横光利一
と河は膨れて逆流した。測候所のシグナルが平和な風速を示して塔の上へ昇っていった。
海関の尖塔が夜霧の中で煙り始めた。突堤に積み上げられた樽の上で、苦力たちが湿って....