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涕
「涕〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
涕の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
大事の前の小事と忍んで陳謝したが、国事のついに茲にまで至った事を思うと、覚えず流
涕せざるを得なかったと云う。 愈々加藤清正咸鏡道より将に平壌を襲わんとして居る....
「運命」より 著者:幸田露伴
語るごとに、東昌の事に及べば、曰く、張玉を失うより、吾今に至って寝食安からずと。
涕下りて已まず。諸将も皆泣く。後功臣を賞するに及びて、張玉を第一とし、河間王を追....
「愛と認識との出発」より 著者:倉田百三
なかった。これはじつに私には痛刻きわまりなき悲哀であり、苦痛であり、寂寞であり、
涕涙であった。私は苦しみ悶えた。私はその友に与えた手紙の一節を記憶している。 ....
「連環記」より 著者:幸田露伴
其時の気味合からでも有ったろうか、寂心は大に感激した随喜した。そして堪り兼ねて流
涕し、すすり泣いた。すると増賀は忽ち座を下りて、つかつかと寂心の前へ立つなり、し....
「獄中消息」より 著者:大杉栄
点火せらるるによりて初めてその端緒を開く。噫々われすでに家庭に火を放てり。微笑と
涕泣、もってわが家の焼尽し行くさまを眺めんかな。 * 堺利彦宛・日附不明....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
月か過ぎて雪の降った冬の日に、穂積皇子が遙かに御墓(猪養の岡)を望まれ、悲傷|流
涕して作られた歌である。皇女と皇子との御関係は既に云った如くである。吉隠は磯城郡....
「人生における離合について」より 著者:倉田百三
集の巻の三には大津皇子が死を賜わって磐余の池にて自害されたとき、妃山辺の皇女が流
涕悲泣して直ちに跡を追い、入水して殉死された有名な事蹟がのっている。また花山法皇....
「幸福な家庭」より 著者:井上紅梅
書いた原稿用紙を手荒く引張り出し、それを揉苦茶にしてまた引き延ばし、子供の涙や鼻
涕を拭き取った。 「好い子だから向うへ行って一人でお遊び」 彼は子供を推しのけ....
「昨日・今日・明日」より 著者:織田作之助
れいうのは、葬式の日にヤッチョロマカセを踊れいうより、殺生やぜ」 言いながら、
涕き声になると、ひしとミネ子を抱きしめて、 「ミネちゃん、おっさんの子になるか」....
「寡婦」より 著者:秋田滋
す」 彼女はそれから顔を胸のあたりまでうな垂れて、いつまでもいつまでも、淋しい
涕をながして泣いていた。 一同が部屋へ寝に引上げてしまうと、彼女の話でその静か....
「瘠我慢の説」より 著者:木村芥舟
れば大に裨益あればとて、即時、价を馳せて贈られたるなど、余は感泣措くこと能わず、
涕涙しばしば被を沾したり。また先生の教に従いて赤十字社病院に入たる後も、先生|来....
「飛騨の怪談」より 著者:岡本綺堂
付かぬ位であった。 「老翁、この辺かい。」と、市郎は立止まって顧ると、七兵衛は水
涕を啜りながら進み出た。 「はあ、丁度ここらでがすよ。あれ、あの樅の木の蔭から※....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
でぽろぽろに千切れてしまう。それから人の前でもどこでも自分の着物の裾裏をまくって
涕をかみ、そうして其
涕をうまくすり付けてしまう。余り
涕が多いと筒っ袖の方にもそれ....
「五重塔」より 著者:幸田露伴
段々親方の恩を被て、私や金と同じことに今ではどうか一人立ち、しかも憚りながら青っ
涕垂らして弁当箱の持運び、木片を担いでひょろひょろ帰る餓鬼のころから親方の手につ....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
の大仏修理をした宋人|陳和卿が来た。実朝に謁して前生は宋の育王山の長老だといって
涕泣した。それに心を動かされ、大船をつくらせて、入宋しようとしたが、船が進水しな....