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「淡島〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

淡島の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
彼女は少しく人ごみに酔ったらしいのである。 混雑のなかを潜って、四人はひとまず淡島の社あたりへ出た。こことても相当に混雑しているが、それでも押し合う程のことは....
残されたる江戸」より 著者:柴田流星
は大金と一直と草津とがある。独り老男老女に取っては伝法院と一寸八分の観世音菩薩と淡島様とに彼の趣味を伴う。ここには説法と利生とあらたかとが存する。 もしそれ三....
火薬船」より 著者:海野十三
、お迎えにも出られませんで、御無礼をしておりますじゃ。この汽船の船長|天虎来こと淡島虎造でござんす」 と、ていねいに挨拶をしてあたまを下げた。 脚が不自由だ....
半島一奇抄」より 著者:泉鏡花
弁天島。――自動車は後眺望がよく利きませんな、むこうに山が一ツ浮いていましょう。淡島です。あの島々と、上の鷲頭山に包まれて、この海岸は、これから先、小海、重寺、....
寺内の奇人団」より 著者:淡島寒月
ました。ところで父は変人ですから、人に勧められるままに、御経も碌々読めない癖に、淡島堂の堂守となりました。それで堂守には、坊主の方がいいといって、頭をクリクリ坊....
諸国の玩具」より 著者:淡島寒月
その辺の百姓でした大橋門蔵という人がやったのです。 その後椿岳は観音の本堂傍の淡島堂に移って、いわゆる浅草画十二枚を一揃として描いて、十銭で売ったものです。近....
我が宗教観」より 著者:淡島寒月
上で子にすすめられて坐禅をしたという話でした。ところがこれほど凝った禅も、浅草の淡島堂にいた時分には、天台宗になって、僧籍に身を置くようになりました。しかしてそ....
人形の話」より 著者:折口信夫
である。それがだんだん芸術的に変化してきた。その形がごく近代まで残っているのは、淡島願人である。子供の死んだ家で、着物、頭巾、人形など、子供の持っていた物をやっ....
小さな旅」より 著者:富田木歩
わす雀共の賑わしさの中に藪鶯が美しい音尻を引いては鳴くのである。 この家の裏に淡島寒月さんの居宅があって其の家裏を領している太い椎と松とに鶉が籠っている、そし....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
という間に猿若町がある。此所に三芝居が揃っていた。 観音堂に向って左は境内で、淡島のお宮、花やしき、それを抜けると浅草|田圃で一面の青田であった。 観音堂の....
姫柚子の讃」より 著者:佐藤垢石
に消えた西南の果てには、賀茂の港や湯野浜あたりの山々が、遙々と紫色に並び立った。淡島や佐渡ヶ島は、悠々と海霞の奥に眠っているのであろう。眼に見えぬ。 ここの釣....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
ら、参詣の多い日の夕方などには、もう下りて来ないとのことでした。 お堂の左手に淡島様があります。小さな池に石橋が掛っていて、それを渡る時には、池の岩の上にいつ....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
震火で灰となった記念物の中に史蹟というのは仰山だが、焼けてしまって惜まれる小さな遺跡や建物がある。淡島寒月の向島の旧庵の如きその一つである。今ではその跡にバラック住いをして旧廬の....
斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
下し被下度候」と書いてあった。当時は正岡子規がマダ学生で世間に顔出しせず、紅葉が淡島寒月にかぶれて「稲妻や二尺八寸ソリャこそ抜いた」というような字余りの談林風を....
古事記」より 著者:太安万侶
こ》をお生《う》みになりました。この子はアシの船に乘せて流してしまいました。次に淡島《あわしま》をお生みになりました。これも御子《みこ》の數にははいりません。 ....