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淡海
「淡海〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
淡海の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「富士」より 著者:岡本かの子
の日を甲斐々々しく働いた。雁金《かりがね》が寒く来鳴き、新治《にいばり》の鳥羽の
淡海も秋風に白浪立つ頃ともなれば、女は自分が先に立ち奴たちを率いて、裾わの田井に....
「夫婦善哉」より 著者:織田作之助
があるとて、「西瓜屋の向いに西瓜屋が出来て、西瓜同志(好いた同志)の差し向い」と
淡海節《たんかいぶし》の文句を言い出すほどの上機嫌だった。向い側の果物屋は、店の....
「深夜の市長」より 著者:海野十三
いった。 「……唱歌じゃないわよ」と突然無口かと思った子供が物をいった。「これ、
淡海節ヨ」 「ええッ。――」僕は彼女が物を云ったことにも、その鮮やかな答にも、両....
「修禅寺物語」より 著者:岡本綺堂
開闢以来、はじめて舞楽のおもてを刻まれたは、もったいなくも聖徳太子、つづいて藤原
淡海公、弘法大師、倉部の春日、この人々より伝えて今に至る、由緒正しき職人とは知ら....
「わが町」より 著者:織田作之助
にも果物屋があるのを見て、「西瓜屋の向いに西瓜屋が出来て、西瓜同志の差し向い」と
淡海節の文句を言いだした。その果物屋は店の半分が氷店になっているのが強味で、氷か....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
。 どれもこれも駄目であった。 満足することは出来なかった。 「聖徳太子様、
淡海公、弘法大師様の作られたような『神作』のようなものは出来ないものかしら? 日....
「縮図」より 著者:徳田秋声
子も大阪から帰りたての、明治座の沢正を見ており、腐っていたその劇場で見た志賀の家
淡海くらいのものかと思っていたので、頼まれてお義理見をしたくらいだった。しかし沢....
「太平洋魔城」より 著者:海野十三
ム島附近へとって、日本艦隊をおびきよせ、そのあたりで撃滅し、次に北上を開始し、紀
淡海峡をおしきって、瀬戸内海をつくんだ。そのうえで、艦載爆撃機をとばせて、大阪を....
「死者の書」より 著者:折口信夫
は、四筋に分れて居りまする。じゃが、大織冠さまの代どころでは、ありは致しませぬ。
淡海公の時も、まだ一流れのお家でおざりました。併し其頃やはり、藤原は、中臣と二つ....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
駕の作者が詠じたものと見ることが出来るというのである。 ○
淡海の海夕浪千鳥汝が鳴けば心もしぬにいにしへ思ほゆ 〔巻三・二六六〕 柿本人麿 ....
「なよたけ」より 著者:加藤道夫
青によし 平山越えて いかさまに 思ほしけめか 天さかる 夷にはあれど 石走る
淡海の国の ささなみの 大津の宮に 天の下 知ろしめしけむ すめろぎの 神のみこ....
「海豚と河豚」より 著者:佐藤垢石
中鞍掛島、太島、宇和島、加島など、また淡路島の福良から由良へかけての荒い瀬戸、紀
淡海峡などのものが本格ものとされているけれど、東京近くにも立派な河豚がとれる海が....
「鯛釣り素人咄」より 著者:佐藤垢石
元島、横根島、石取島の地先、常陸国久慈と大津沖など。関西では土佐沖、鳴門海峡、紀
淡海峡など七、八ヵ所を数えるに過ぎない。 そして、この釣りは出漁すれば必ず釣れ....
「古事記」より 著者:太安万侶
・知多の臣・牟耶《むざ》の臣・都怒《つの》山の臣・伊勢の飯高の君・壹師の君・近つ
淡海の國の造の祖先です。天皇は御年九十三歳、御陵は掖上の博多《はかた》山の上にあ....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
川志』)のに反して、大原村のは、「此辺にては唱門師と呼ぶものは穢多の類なり」(『
淡海木間攫』)と言われ、梅津においても、本郷の民これを餌取に近き者の如く(『以文....