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深谷
「深谷〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
深谷の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「白蟻」より 著者:小栗虫太郎
し、信者の群は、なおも闇の中から、むくむく湧き出してくるのだったけれども、それが
深谷《ふかや》あたりになると、大半が切り崩されてしまい、すでに神ヶ原では、五人の....
「死の快走船」より 著者:大阪圭吉
舎道を、小一時聞も馬を進ませつづけていた私達の前方には、とうとう岬の、キャプテン
深谷邸が見えはじめた。 藍碧の海をへだてて長く突出した緑色の岬の端には、眼の醒....
「槍ヶ岳第三回登山」より 著者:小島烏水
ちを、瞰下しながら、無限の大虚からの圧迫を、犇々と胸に受けた。 絶壁の下なる大
深谷からは、霧がすさまじいいきおいで、皺嗄れ声を振り立てて上って来る、近づくほど....
「田舎教師」より 著者:田山花袋
という見出しで、伊勢崎の豪商に根曳きされる話がひやかし半分に書いてある。小滝には
深谷の金持ちの息子で、今年大学に入学した情人があった。その男に小滝は並々ならぬ情....
「白峰山脈縦断記」より 著者:小島烏水
な雲がぬうっと立ち昇って、私たちを包んで、白くしてしまうときであろう。私は、この
深谷の幾千本針の針葉樹よりも、はた幾|万斛の水よりも、一寸の魚が、谷の感情を支配....
「谷より峰へ峰より谷へ」より 著者:小島烏水
のような、冴えた藍色が匂やかである。 尾根の頂上へ出たときは、大斜線の岩壁が、
深谷へ引き落されて、低くなったかとおもうと、また兀々とした石の筋骨が、投げ上げら....
「不尽の高根」より 著者:小島烏水
御祈願所の木札や、文化年間にあげたという、太々神楽の額や、天保四年と記した中山道
深谷宿、近江屋某の青銭をちりばめた奉納額などがあった。そこから廻り縁になって、別....
「唄立山心中一曲」より 著者:泉鏡花
が、その嫁御寮に似もつかぬ、卑しげな慳のある女親まじりに、七八人の附添とともに、
深谷駅から同じ室に乗組んで、御寮はちょうど私たちの真向うの席に就いた。まさに嫁が....
「「菊池寛全集」の序」より 著者:芥川竜之介
るのであろう? 美は既に捨ててしまった。しかし真と善との峰は、まだ雪をかぶった儘
深谷を隔てているかも知れぬ。菊池の前途もこの意味では艱険に富んでいそうである。巴....
「鷲」より 著者:岡本綺堂
の岩下重兵衛が撃ち損じた。去年は十一月の八日の真昼に姿をあらわしたのを、鉄砲方の
深谷源七が撃ち損じた。それから二時ほどの後に、鷲はふたたび海岸近く舞い下がって来....
「穂高岳槍ヶ岳縦走記」より 著者:鵜殿正雄
のだ。峰頭を仰ぐと危岩が転げ落ちそうで、思わず首がすくむ、足下は何十丈だかしれぬ
深谷、ちょっとでも踏みそこなうものなら、身も魂もこの世のものとは思われぬ。右に左....
「知々夫紀行」より 著者:幸田露伴
呼び、この路と川越通りを昔時は秩父へ入るの大路としたりと見ゆ。今は汽車の便ありて
深谷より寄居に至る方、熊谷より寄居に至るよりもやや近ければ、
深谷まで汽車にて行き....
「手長と足長」より 著者:喜田貞吉
しかし手長明神は貝塚にのみ伴うているのではない。かつて武蔵大里郡を旅行して、
深谷町の東北、路傍の古墳の上に手長大明神と書いた幟の幾本も立っているのを見た事が....
「挿話」より 著者:徳田秋声
から」 「そうしてもいいが、温泉へ行くとしたらどこだろう」 「ごく近いところで、
深谷もこのごろはなかなかいいですよ」 「石屋ならいい座敷がありますけれど、あすこ....
「黒部川奥の山旅」より 著者:木暮理太郎
いから、是に対して別に異議はないが、ケカツ谷を饑渇谷と断定し、終歳雪の消えない此
深谷に這入った者は、饑渇となって死ぬる為に名付けられたのだという説明は、それが離....