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淳
「淳〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
淳の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「「いき」の構造」より 著者:九鬼周造
な》めて鍛えられた心がいつわりやすい目的に目をくれなくなるのである。異性に対する
淳朴《じゅんぼく》な信頼を失ってさっぱりと諦《あきら》むる心は決して無代価で生れ....
「蘭学事始」より 著者:菊池寛
に押しかけていた。 ことに御医術の野呂玄丈や、山形侯の医官安富寄碩、同藩の中川
淳庵、蔵前の札差で好事の名を取った青野長兵衛、讃岐侯の浪人平賀源内、御坊主の細井....
「仇討三態」より 著者:菊池寛
、八年ぶりに、親の敵和田直之進が、京師室町四条上るに、児医師の看板を掲げて、和田
淳庵という変名に、世を忍んでいるのを探り当てた。 それを初めに知ったのは、弟の....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
広一郎 ◯畑俊六、秦彦三郎、佐藤賢了、河辺正三、中村修人、西尾寿造、島田駿、後宮
淳、牟田口廉也、石田乙五郎、上砂政七、木下栄市、納見敏市、大野広一、高地茂朝、小....
「戦時旅行鞄」より 著者:海野十三
でよろしかろう」 金博士は、庶民階級がすきだと見えて、いつになく短気を出さず、
淳々として丘へあがった船上で、通俗講演を一くさりぶったのであった。 「ああそうそ....
「連環記」より 著者:幸田露伴
、孫、丁の名は少し後に出た欧陽修・王安石・三蘇の名に掩われて、今は知る者も少い。
淳化三年進士及第して官に任じて、其政事の才により功を立てて累進して丞相に至り、真....
「開扉一妖帖」より 著者:泉鏡花
番の年若で。もうその時分は、鴾の細君であった。鴾氏――画名は遠慮しよう、実の名は
淳之助である。 (――つい、今しがた銀座で一所に飲んでいた――) この場合、う....
「安吾巷談」より 著者:坂口安吾
二度目の中毒を起したとき、私は発作を起しているから知らなかったが、女房の奴、石川
淳と檀一雄に電報を打って、きてもらった。ずいぶん頼りない人に電報をうったものだが....
「十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
験器、暗室写真鏡、等々――そんなものが陳列された。杉田玄伯だの桂川甫周だの、中川
淳庵だのがよく見に行った。で、新八郎も見に行った。そうして誰にも負けず好奇心を募....
「夫人利生記」より 著者:泉鏡花
ざりますが、喜撰法師のように見えます処が、業の至りませぬ、不束ゆえで。」 と、
淳朴な仏師が、やや吶って口重く、まじりと言う。 しかしこれは、工人の器量を試み....
「青春の息の痕」より 著者:倉田百三
私は西国八十八か所を遍路して歩きたいと思いましたが止められました。天香さんは勝
淳さん(一燈園の尼さん、切髪の品のいい四十歳ぐらい、天香さんと、夫婦のようにして....
「火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
もしれぬ。 骨を除散することは、事実上我が古代には珍らしい事でなかったらしい。
淳和上皇崩御の前、遺詔して御骨を砕いて粉となし、これを山中に散ずべく命じ給うた。....
「国栖の名義」より 著者:喜田貞吉
朝して醴酒を献じた。日本紀には正に「来朝」という文字を使っている。彼らは人となり
淳朴で、常に山菓を取って喰う。また蝦蟆を煮て上味とする。その土は京(応神天皇の都....
「審判」より 著者:カフカフランツ
いたのです。ところがそれはほんの少しでも成功しませんでした。私の部屋主はまったく
淳朴な人で――私はここで彼女の名前を尊敬をこめて申上げておきますが、彼女はグルゥ....
「ファウスト」より 著者:ゲーテヨハン・ヴォルフガング・フォン
在る。そのまま在らせる外、為方がない。
随分今まで行き著く程考えたのです。
ただ
淳樸な下民にはそれが分かっていて、
縦え人がなんと云っても、自分の考を改めない。....