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清和
「清和〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
清和の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「坊っちゃん」より 著者:夏目漱石
入りにしたと思われちゃ一生の名折れだ。これでも元は旗本《はたもと》だ。旗本の元は
清和源氏《せいわげんじ》で、多田《ただ》の満仲《まんじゅう》の後裔《こうえい》だ....
「吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
だ、やっぱり外国のようだ。和唐内《わとうない》の時にゃ無かったね。和唐内はやはり
清和源氏さ。なんでも義経が蝦夷《えぞ》から満洲へ渡った時に、蝦夷の男で大変|学《....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
めにかつて三方ヶ原で破られながらも甲州流の兵法には少なからず敬意を払っていたし、
清和源氏の名門で甲斐源氏の棟梁たる武田家その物に対しても尊敬の念を持っていて、勝....
「読書法」より 著者:戸坂潤
拘らず甚だ水準が高いということだ(コム・アカデミー文学部編)。 (一九三五年・
清和書店版・八十銭) 3 シュッキング著 金子和訳『文学と趣味』 (L. ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
「死ハ万事ノ終リカ。 彼ノ女ノ罪ハ祖先ノ罪ナリ。 駒井ノ家ノ系統ヲタヅヌルニ、
清和源氏ニ出ヅルモノノ如シ――然レドモ――彼ノ女ニ対スル余ノ愛ガ彼ノ女ヲ殺シ、彼....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
薩隅日三州の太守、島津|修理太夫《しゅりだいふ》義久と申し奉るは、うやうやしくも
清和天皇の御苗裔《ごびょうえい》、鎌倉右大将征夷大将軍源頼朝公の御子、左衛門尉《....
「颱風雑俎」より 著者:寺田寅彦
を求めれば、おそらくいくつでも見付かりそうな気がするのである。古い一例を挙げれば
清和天皇の御代|貞観十六年八月二十四日に京師を襲った大風雨では「樹木有名皆吹倒、....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
の系譜の背景にも相当の古代にさかのぼっての日本史の謎があるように思われる。桓武、
清和、宇多というような平安朝の天子を祖とすることまではハッキリしているが、その平....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
れ、いっそ気楽な世わたりをしようと、非人の境涯へ身を落したが、もとを正せばおなじ
清和源氏《せいわげんじ》。土井|摂津守《せっつのかみ》利勝《としかつ》からわかれ....
「書について」より 著者:高村光太郎
である。 五 羲之の書と称せられているものは、なるほど多くの人の言う通り
清和|醇粋である。偏せず、激せず、大空のようにひろく、のびのびとしていてつつまし....
「俳人蕪村」より 著者:正岡子規
。書簡に曰く 一春風馬堤曲馬堤は毛馬塘なりすなわち余が故園なり 余幼童之時春色
清和の日には必ず友どちとこの堤上にのぼりて遊び候水には上下の船あり堤には往来の客....
「向嶋」より 著者:永井荷風
《ひゃくじょう》を撥《すてさ》りて以《もっ》て遊ぶ 中略 中略
清和属首夏
清和《せいわ》は首夏《しゅか》に属《ぞく》す 境勝固天真 ....
「法然行伝」より 著者:中里介山
と、勅請があって、主上に一乗円戒を法然上人が授け奉った、という特例がある。これは
清和天皇が貞観《じょうがん》年中に慈覚大師《じかくだいし》を紫宸殿《ししんでん》....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
のかされて決行したものの、それはまた将軍|弑逆の謀叛人という名儀でほろぼされた。
清和源氏の正統はここに絶えた。 十三歳の十二月、後の内大臣|坊門信清の女が北の....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
二月、舞鶴要塞司令官に転任。舞鶴の冬は毎日雪か雨で晴天はほとんどない。しかし旅館
清和楼の一室に久し振りに余り来訪者もなく、のどかに読書や空想に時間を過ごし得たの....