清少納言[語句情報] »
清少納言
「清少納言〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
清少納言の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「虚構の春」より 著者:太宰治
念に抗して戦っているのである。』これを写しながら、給仕君におとぎばなし、紫式部、
清少納言、日本霊異記《にほんりょういき》とせがまれ、話しているうち、彼氏恐怖のあ....
「ろまん灯籠」より 著者:太宰治
な気がした。春はあけぼの、という文章をちらと思い浮べていい気持であったが、それは
清少納言の文章であった事に気附いて少し興覚めた。あわてて机の本立から引き出した本....
「鶴は病みき」より 著者:岡本かの子
の裸婦の美をですな、我国古代の紳士淑女達――たとえば素盞嗚尊、藤原鎌足、平将門、
清少納言、達が果して同等に驚嘆するかですな、或いはナポレオンが、ヘンリー八世が、....
「千曲川のスケッチ」より 著者:島崎藤村
らしい。 午後に、家のものはB姉妹の許へ招かれて御輿の通るのを見に行った。Bは
清少納言の「枕の草紙」などを読みに来る人で、子供もよくその家へ遊びに行く。 光....
「連環記」より 著者:幸田露伴
。平安朝は丁度太平の満潮、まして此頃は賢女才媛輩出時代で、紫式部やら海老茶式部、
清少納言やら金時大納言など、すばらしい女が赫奕として、やらん、からん、なん、かん....
「友人」より 著者:上村松園
の友人は、支那の故事とか、日本の古い物語や歴史のなかの人物である。 小野小町、
清少納言、紫式部、亀遊、税所敦子――そのほかいくらでもある。 楊貴妃、西太后…....
「作画について」より 著者:上村松園
ろいろと変遷してきたものです。 ですから画題も明治二十八年第四回内国博出品の「
清少納言」や、その後の「義貞勾当内侍を視る」「頼政賜菖蒲前」「軽女悲惜別」「重衡....
「画室談義」より 著者:上村松園
。 画室のなかは実に賑やかです。何年か前の美人下絵がいまだに隅に立っていたり、
清少納言が何か、もっともらしい顔つきで私を眺めていたりする。 モデルをあまり使....
「画道と女性」より 著者:上村松園
ら、随分古い方ではある。大正六、七年頃、京都の林新助氏の何かの記念展覧会に描いた
清少納言の図は、確かに三尺か三尺五寸くらいの竪幅だったが、その以前明治二十七、八....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
しました。藤原時代の御殿の風俗を雪月花の三幅に描き出したものでございます。雪は、
清少納言に倣らえたものと思って下さってもよいでしょう。 二十四日、三室戸様に伴....
「昔のことなど」より 著者:上村松園
す。 楳嶺先生が死なれた年の春に岡崎で第四回内国勧業博覧会がありまして、私は「
清少納言図」を出品しましたがその下図を誰ぞに見て貰わねばならぬと思って居りますと....
「二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
事が容易でなかった。二葉亭も根が漢学育ちで魏叔子や壮悔堂を毎日繰返し、同じ心持で
清少納言や鴨長明を読み、馬琴や京伝三馬の俗文学までも究め、課題の文章を練習する意....
「オシラ神に関する二三の臆説」より 著者:喜田貞吉
も、「過ぎにし方恋しきもの」という中に、「ひいな遊びの調度」ということを数えて、
清少納言が少女時代の遊戯を回想している。ここに「ひいな遊び、すなわち雛遊びである....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
女房になる。駄洒落や軽る口をたたいて、宮の内に笑を作るのもこの身分のものである。
清少納言などもそうした女房の一人であった。『枕草紙』にも「をかし」という形容詞が....
「濫僧考補遺」より 著者:喜田貞吉
非人法師に対する称呼であるが、婦人すなわち尼法師にも、やはり古くこの徒があった。
清少納言「枕草子」「物の哀知らせ顔なるもの」の条にこれについて面白い記事があるか....