清川八郎[語句情報] » 清川八郎

「清川八郎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

清川八郎の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
|松平上野介忠敏こそは、幕末剣客中の尤物で、神田講武所の師範代を長らく勤め、かの清川八郎なぞと共に、新徴組を組織して、その副隊長に擬せられた一代の風雲児です。ぐ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
「杉山左京が邸を乗り出した駕籠《かご》が二|挺《ちょう》、その後ろのがまさしく清川八郎」 「確《しか》と?」 「相違ない、拙者は武兵衛《ぶへえ》にあとを頼んで....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
吉田氏、その後の雲行《くもゆき》は、いよいよ穏かでないぞ」 「うむ、そうか」 「清川八郎が手で、新徴組の大部が江戸へ帰ったことは聞いたか」 「それは聞いた、横浜....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
門というよりも、その一名与三郎の方が通りがよかったこともあります。さきに新徴組が清川八郎を覘《ねら》う時、しばしばその金子の家で会合したことがあります。金子は新....
中里介山の『大菩薩峠』」より 著者:三田村鳶魚
を抑へる機関」だったのではない。浪士取扱いという名目で、浪人を沢山集めた。これは清川八郎の目論見《もくろみ》で、それが新徴組になったのです。こんな歴史は今改めて....
南国太平記」より 著者:直木三十五
士 三岡源次郎吉次 と、書いて 「これでよい」 と、云って、筆を置いた。 「清川八郎でも、殺されるのだからのう。吾等とて、いつ何時、捕吏《とりかた》の手でや....
姫柚子の讃」より 著者:佐藤垢石
り場からそのまま脱藩したのである。江戸へのぼって、浪々していた。その頃、江戸では清川八郎が浪士隊の募集をやっていた。栄之助は、清川八郎の名をきいて知っている。八....