清明[語句情報] »
清明
「清明〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
清明の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「崔書生」より 著者:田中貢太郎
崔は長安の永楽里という処に住んでいた。博陵の生れで渭南に別荘を持っていた。貞元年中のこと、
清明の時分、渭南の別荘へ帰って往ったが、ある日、昭応という処まで往くと陽が暮れて....
「雷峯塔物語」より 著者:田中貢太郎
であった。きゃしゃな綺麗な顔をした、どこか貴公子然たる処のある男であった。それは
清明の節に当る日のことであった。許宣は保叔塔寺へ往って焼香しようと思って、宵に姐....
「金鳳釵記」より 著者:田中貢太郎
家に止まることになり、自分の室にあてがわれた門の側の小斎へ入った。 そのうちに
清明の節となった。防禦の家では女が新しく歿くなっているので、下男と興哥に留守をさ....
「虎媛」より 著者:田中貢太郎
明の末の話である。中州に焦鼎という書生があって、友達といっしょに※の上流へ往ったが、そのうちに
清明の季節となった。その日は家々へ墓参をする日であるから、若い男達はその日を待ち....
「瞳人語」より 著者:田中貢太郎
った。路で歩いている女でも見かけると、きっと軽薄にその後をつけて往くのであった。
清明の節の前一日のことであった。たまたま郊外を歩いていると、一つの小さな車がきた....
「蓮香」より 著者:田中貢太郎
く葬った。桑は蓮香の生んだ子の名を狐児とつけた。燕児は自分の子のようにして愛し、
清明の節には必ずそれを抱いて蓮香の墓へ往った。 後十年、桑は郷試に及第して挙人....
「阿宝」より 著者:田中貢太郎
いか」 と言ったが、それから阿宝と結婚しようとするの思いはなくなってしまった。
清明の節になった。土地の風習としてその日は女が郊外に出て遊ぶので、軽薄の少年が隊....
「艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
をしみじみと身に感ずるものはない。豊熟した胸のふくらみを林檎に、軽い憂鬱を柿に、
清明を梨に、素朴を栗に授けた秋は、最後に残されたわびしさと苦笑とを柚子に与えてい....
「七宝の柱」より 著者:泉鏡花
ながら、月光に酔い、桂の香に巻かれた心地がして、乱れたままの道芝を行くのが、青く
清明なる円い床を通るようであった。 階の下に立って、仰ぐと、典雅温優なる弁財天....
「現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
いう精神道場を建てることになったし、また日満両国の青年の精神的融和をはかる私立の
清明会の修道場「
清明苑」も出来るし、神奈川県には屯田学生制度による「相模殖産学校....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
ある。書紀神功皇后巻に、「いざ会はなわれは」とあるは相闘う意。毛詩に、「肆伐会朝
清明」とあり、「会える朝」は即ち会戦の旦也と注せられた。共に同じ用法である。この....
「葛の葉狐」より 著者:楠山正雄
いました。 天子さまは大そう阿倍の童子の手柄をおほめになって、ちょうど三|月の
清明の季節なので、名前を阿倍の
清明とおつけになり、五|位の位を授けて、陰陽頭とい....
「蛇性の婬 」より 著者:田中貢太郎
あった。きゃしゃな※な顔をした、どこか貴公子然たるところのある男であった。それは
清明の節に当る日のことであった。許宣は保叔塔寺へ往って焼香しようと思って、宵に姐....
「薬」より 著者:井上紅梅
それへと段々に土を盛り上げ、さながら富家の祝いの饅頭を見るようである。 今年の
清明節は殊の外寒く、柳がようやく米粒ほどの芽をふき出した。 夜が明けるとまもな....
「澪標」より 著者:外村繁
の往還を隔てて、遠く水田が連っている。鎮守の森を除けば、早朝の田園の風景は至って
清明である。遥か北方に伊吹山が聳えている。北から東へ、鈴鹿山脈の峰峰が連っている....