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「清水坂〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

清水坂の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
くぐつ名義考」より 著者:喜田貞吉
の他にもこの名称は少くないらしい。しかし河原者や坂の者がいつまでも賀茂川の河原や清水坂にのみ住んでいなかった様に、谷の者もいつまでも谷にのみ住んでいたものではな....
長吏名称考」より 著者:喜田貞吉
者に対してこの称の見えるのは、管見の及ぶ限りでは鎌倉時代寛元二年三月の、奈良坂・清水坂両所の非人争議の文書である。 本寺奈良坂非人陳申、 清水坂非人等条々虚誕子....
サンカ者名義考」より 著者:喜田貞吉
人文書(四巻一号四頁及び本号〔「民族と歴史」四巻三号〕一九頁)に見ゆる鎌倉時代の清水坂の非人の称であった。しかるにそれが室町時代には主として祇園の犬神人の名に呼....
素人製陶本窯を築くべからず」より 著者:北大路魯山人
を具えた所業と受け取ることは出来なかった。みずから翁らにしてみれば今の陶画工では清水坂以上の仁清は描き得べくもない。 それには美校の生徒をもってすれば、職工と....
牛捨場馬捨場」より 著者:喜田貞吉
の長に当るもので、その勢力の往々盛んなるものの少からなんだ事は、寛元年間における清水坂及び奈良坂の坂の者たる非人法師等の闘争に関して、長吏法師の提出した訴状を見....
旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
町時代にはそれを訛って俗間にサンカモノと呼んでいた。すなわちいわゆる非人の徒で、清水坂の非人法師の事は鎌倉時代の文書にもあるように、本誌上にもしばしば言及した事....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
に示すの一例として提供したい。 祇園社所属の犬神人は、いわゆる坂の者、すなわち清水坂の非人法師であった。彼らは時に犬法師とも呼ばれていたらしい。祇園は神社であ....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
たのもおそらく鎌倉時代以来のことで、仁治・寛元の頃に東大寺領奈良坂の非人と、京都清水坂の非人とが闘争に及んだことがあった。この奈良坂の非人とは、前記の河上の横行....
融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
猪熊信濃小路に部落を作っていた散所の者で、やはりキヨメとして使われていたのです。清水坂の坂の者は祇園感神院、すなわち今の八坂神社に付属して、これも境内の掃除警固....
濫僧考補遺」より 著者:喜田貞吉
、ここに補っておく。この書は鎌倉時代寛元四年に書いたもので、前記奈良坂非人法師と清水坂非人法師との間に悶着のあった頃に当る。この際春日において行った濫僧供は、主....