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「清洲〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

清洲の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
自叙伝」より 著者:大杉栄
父さんについては、権九郎とか権七郎とかいう名のほかには、何にも聞いた覚えがない。清洲の近くにいた丹羽何とかいう老人が、このお祖父さんの弟で、少しは名のある国学者....
渾沌未分」より 著者:岡本かの子
ょっとした小初の好きな喰べものぐらい心得ていた。浅夜に瀟洒な鉄線を組み立てている清洲橋を渡って、人形町の可愛らしい灯の中で青苦い香気のある冷し白玉を喰べ、東京で....
賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
清洲会議之事 天正十年六月十八日、尾州|清洲の植原次郎右衛門が大広間に於て、織....
柿の種」より 著者:寺田寅彦
の震災のときにはまだ生まれていなかったような年ごろの子供らがおおぜい遊んでいる。清洲橋の近くの一銭蒸汽の待合所を目当てに河岸を歩いていたら意外な所に芭蕉庵旧跡と....
仮装人物」より 著者:徳田秋声
な立ちあがっていた。金座通りや浜町公園もすでに形が整っていたし、思い切り大規模の清洲橋も完成していた。それにもかかわらずこの辺一帯の地の利もすでに悪くなって、真....
八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
誉れあり、江州佐和山石田三成に仕え、乱後身を避け高野山に登り、後吉野の傍に住す。清洲少将忠吉公、その名を聞いてこれを召す。後、尾張|源敬公に仕え、門弟多く取り立....
東上記」より 著者:寺田寅彦
張り上げて歌い出せば商人の娘堪えかねてキヽと笑う。長良川木曽川いつの間にか越えて清洲と云うに、この次は名古屋よと身支度する間に電燈の蒼白き光曇れる空に映じ、はや....
梟雄」より 著者:坂口安吾
のである。 ところが天罰テキメン。無理な見栄は張らないものだ。野荒しの留守中に清洲の織田本家の者が信秀に敵の色をたて、信秀の居城|古渡を攻めて城下を焼き払って....
織田信長」より 著者:坂口安吾
はいけないでしょう、道服はいかゞ、よかろう、ときまって、使者はひそかに出発した。清洲の城へ直接信長を訪ねるわけには行かないから、磯貝の知音の者で、信長の目附をし....
怪しの者」より 著者:国枝史郎
家は、素晴らしい格式を持っていまして、津田助左衛門様、倉田新十郎様、などという、清洲越十九人衆の、大金持の御用達衆と、なんの遜色もないのでありまして、その持田様....
十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
で、夜ではあったが賑わっていた。珠太郎は二十歳の青年で、尾張家|御用達の大町人、清洲越十人衆の一人として、富と門閥とを誇っている、丸田屋儀右衛門の長男であった。....
名人地獄」より 著者:国枝史郎
学者で、故実歴史には通じていたが、剣技はずっと落ちていた。 由来造酒は尾張国、清洲在の郷士の伜で、放蕩無頼且つ酒豪、手に余ったところから、父が心配して江戸へ出....
剣侠」より 著者:国枝史郎
何だろう? 尾張の大商人大金持といえば、花井勘右衛門をはじめとして、九十八軒の清洲越衆、その他尾州家からお扶持をいただく、小坂新左衛門他十二家あって、それらの....
明日は天気になれ」より 著者:坂口安吾
たが、京都の御所のちかくの電車通りと川に面した邸である。私が五年前に泊ったときは清洲とかいう旅館であったが、この名も確かではない。 当時私は小説の中に京都弁の....
四十年前」より 著者:内田魯庵
、欧化心酔の伊井公侯もこれには頗る困らされたそうだ。 当時の欧化は木下藤吉郎が清洲の城を三日に築いたと同様、外見だけは如何にも文物燦然と輝いていたが、内容は破....