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「渡島〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

渡島の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
わが町」より 著者:織田作之助
良い思案はないものかと評定していると、関西移民組合から派遣されて来たという佐渡島他吉が、 「言うちゃなんやけど、今日まで生命があったのは、こら神さんのお蔭や....
柿の種」より 著者:寺田寅彦
月の雨は、寄せ集められて、最上川に」 「大波は巻きつつ寄せる、そうして銀河は、佐渡島へ横切って延び拡がる」 このごろ、よんどころない必要から、リグヴェーダの中....
日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
七月には仙台、同十年三月には釧路、同十二年には駿河、同十四年三月には釧路、根室、渡島、弘化四年三月には信濃、越後、嘉永六年二月には相模、駿河、伊豆、三河、遠江に....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
の堂宮、仏体、巻軸が残っている。佐渡を離れる時に、 四とせ経てけふ立ちそむる佐渡島を いつきて見るやのりのともし火 という一首を、九品仏《くほんぶつ》の堂....
取舵」より 著者:泉鏡花
護によりて、辛くも内海を形成れども、泊以東は全く洋々たる外海にて、快晴の日は、佐渡島の糢糊たるを見るのみなれば、四面※茫として、荒波山の崩るるごとく、心易かる航....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
し、日本の風俗をなし、不充分ながらも日本語を話す様になっていた人々が、その西南端渡島の海岸地方に移住しました。そのほかにも、商業漁業の利を求めて、内地から出かけ....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
床をならべ、華奢風流を争って、各※踊りとか、独創と特色を持とうとしている。 佐渡島右近、村山左近、北野小太夫、幾島丹後守、杉山|主殿などとまるで男のような芸名....
私本太平記」より 著者:吉川英治
「そうかい。ご城内となると、おなじいるにも窮屈だからなあ。願ってもない所だよ」渡島いらい、彼はまだおくびにも、日野資朝の生死については、この仲のいい旅籠の主に....
私本太平記」より 著者:吉川英治
んと思われるにつけ、お心ぼそさは一トしおだったにちがいない。――それというのは、渡島いらい、おやつれもない、むしろ埋め火となった覇気一ぱいな、ご健康ぶりでさえあ....
木綿以前の事」より 著者:柳田国男
是をドヂョウ汁と謂って食わされて喫驚した。珍しい名前も有るものと思っていると、佐渡島でも蕎麦切を味噌汁に入れたのを、やはりソバドヂョウと謂うそうであった。その形....
フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
、遂にはあの船唄としての追分の哀調になったのでしょう。その土地土地で松前追分とか渡島追分、江差追分とか呼んでるのがそれです。新潟辺ではそれを松前節としていますが....
わが町」より 著者:織田作之助
く。良い思案はないものかと評定していると、関西移民組合から派遣されて来たという佐渡島他吉が、 「言うちゃなんやけど、今日まで生命があったのは、こら神さんのお蔭や....
学問ある蛙の話」より 著者:知里真志保
ホロカイオチ(逆流ノ蛇川) ※後志国古平町 ホロカフーレピライ(却流ノ赤崖) ※渡島国松前郡 ホロカナイ(却流川) ※渡島国茅部郡 ホリカペッ(逆流川、和名サカ....
「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
でいたと信ずるものである。斉明天皇の御代に阿倍比羅夫が征伐した粛慎や、養老年間に渡島津軽津の司諸君鞍男が調査に行った靺鞨というものは、このオロッコ族であったと解....