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「渡海〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

渡海の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
報恩記」より 著者:芥川竜之介
京でも名を知られた、北条屋弥三右衛門《ほうじょうややそうえもん》の本宅です。同じ渡海《とかい》を渡世にしていても、北条屋は到底《とうてい》角倉《かどくら》などと....
富士」より 著者:岡本かの子
から旅の中にすでに半歳以上は過ぎた。訣れは憤りと呪いを置土産にいで立ったものの、渡海の夜船の雨泊中に娘の家の庭から拾って来た福慈岳の火山弾を取出してみて、それが....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
を使って品川や佃の沖のかかり船をあらしていた。時には上総房州の沖まで乗り出して、渡海の船を襲うこともあった。おとわは木更津の茶屋女のあがりで、喜兵衛の商売を知っ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
豊臣秀吉が朝鮮征伐のみぎりに、高島が十代前の祖先の弥五右衛門は藩主にしたがって渡海した。その時に分捕りして持ち帰ったのが彼の二品で、干枯びた人間の首と得体の知....
厳島合戦」より 著者:菊池寛
真意は、厳島へ我が大軍をひきつけ、安否の合戦して雌雄を決せんとの謀なるべし。厳島渡海を止め、草津、二十日市を攻落し、吉田へ押寄せなば元就を打滅さんこと、時日を廻....
碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
るが為である。此地は険要であるから、某快く一戦して明軍と雌雄を決する所存である。渡海以来の某は日夜戦陣に屍を暴すをもって本意として来た。生きて日本へ帰る事など曾....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
悦《よろこ》ばずして、我みずから中軍を率い、前田利家を右軍、蒲生氏郷を左軍にして渡海しようと云った時、氏郷が大《おおい》に悦んで、人生は草葉の露、願わくは思うさ....
雪たたき」より 著者:幸田露伴
色、随分おもしろい世界もござるげな。何といろいろの世界を股にかける広い広い大きな渡海商いの世界から見ましょうなら、何人が斬れるでも無い一本の刀で癇癪の腹を癒そう....
踊る地平線」より 著者:谷譲次
たれて森のなかをうろついたわけだが、何でも記録によると、一五八六年に、英吉利から渡海して来て時の丁抹王フレデリック二世の御前で芝居をした一座のなかに、ひとりの若....
鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
時も身を離してはならぬ物であった。荷物は江戸から藩地まで『大まわり』と称える藩の渡海を業としている者に藩から托してもらって送らせるので、手近い荷物は葛籠に入れ馬....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
山上憶良臣宴を罷る歌一首という題がある。憶良は、大宝元年遣唐使に従い少録として渡海、慶雲元年帰朝、霊亀二年|伯耆守、神亀三年頃筑前守、天平五年の沈痾自哀文(巻....
山越しの阿弥陀像の画因」より 著者:折口信夫
方の波にあくがれて海深く沈んで行ったのであった。熊野では、これと同じ事を、普陀落渡海と言うた。観音の浄土に往生する意味であって、※々たる海波を漕ぎきって到り著く....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
ほかにも、商業漁業の利を求めて、内地から出かけたもの、仏教を拡める為に、内地から渡海した僧侶、或いは罪を犯して流されたものなども、無論ありました。これは主として....
本朝変態葬礼史」より 著者:中山太郎
たのである。水葬とともに他の土葬も火葬も並び行われたことは勿論である。ただ補陀洛渡海《ふだらくとかい》と称する、自分が生きながら水葬するものについては、後で詳し....
アイヌ宗教成立の史的背景」より 著者:知里真志保
うに書いてあります。 「彼地風雨しげく、海上波荒れて、久しく漁猟なりがたく、舟の渡海もなりかたき時は、所の者を雇いて、日和申しをする。まづ、人数四五十人も雇いて....