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湊川
「湊川〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
湊川の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「文芸の哲学的基礎」より 著者:夏目漱石
とんどないように思います。この理想にも分化があるのは無論です。楠公《なんこう》が
湊川《みなとがわ》で、願くは七たび人間に生れて朝敵を亡《ほろ》ぼさんと云いながら....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
、林田区に入ると俄然大きく焼けていた。三菱電機の研究所のあった建物も焼けていた。
湊川新開地も焼け、福原も焼けていた。市電の南側が少し残って、神戸駅迄に及んでいる....
「四条畷の戦」より 著者:菊池寛
で、小楠公は鍛えられたのだ。幼少時代の正行を記すものは、『太平記』唯一つである。
湊川で戦死した父の首級を見て、自殺せんとして母に諫められ、其の後は日常の遊戯にま....
「三人の相馬大作」より 著者:直木三十五
ことを頼んでおいて、自らは、大義大道のために、死をもって、その志を鼓吹したのだ。
湊川の悲壮な戦――七百騎で十万騎と戦った十死無生の、あの合戦。この悲壮な合戦、こ....
「少年探偵長」より 著者:海野十三
るところからは右手に見えていたが、その川は芝原水源地のあまり水が流れていて、末は
湊川にはいるのだ。 「何をするつもりかなあ」 と春木は、こわごわ崖の上の木立の....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
べては僭越《せんえつ》であるが、建武《けんむ》の昔、楠正成卿が刀折れ矢尽きて後、
湊川《みなとがわ》のほとりなる水車小舎に一族郎党と膝を交えて、七|生《しょう》ま....
「大切な雰囲気」より 著者:小出楢重
よ明るさを加え、混雑を増し、何となく遊廓の香気さえ高くなって行くのだが、それから
湊川の新開地の昼店と夜店と光と雑沓が控えている。とにかく三角帳場から新開地までの....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
歩きながら兵庫へ行った。前にもいった従弟の山本新三郎なども同行していたので、途中
湊川の楠公の碑を弔った。この碑は、その頃は田圃の中に、幾本かの松の木の下にあって....
「「平家物語」ぬきほ(言文一致訳)」より 著者:作者不詳
んだ瀧口時貞と云うものが軍場かえって北の方の御前に参って申したのには「上様は今朝
湊川のすそで敵七騎の中に取こめられてとうとう御討れになってしまいました。殊に手を....
「東上記」より 著者:寺田寅彦
たればこゝに小荷物を預けて楠公祠まで行きたり。亀の遊ぶのを見たりとて面白くもなし
湊川へ行て見んとて堤を上る。昼なれば白面の魎魅も影をかくして軒を並ぶる小亭|閑と....
「私の活動写真傍観史」より 著者:伊丹万作
る。 私の記憶に存する範囲では、私の活動写真傍観史はこの時に始まるようである。
湊川神社の近くに八千代座というのがあつた。(大黒座というのもあつたように思うがど....
「人造物語」より 著者:海野十三
ある。このような簡単なものは、ずいぶん古くからあったもので、僕が少年時代、神戸の
湊川が、まだ淋しい堤防であったとき、その上に掛かった小屋で、「活人形」を見たのを....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
奴があるかい」
と、いいつつ、益満の前へ立った。
「さて、いよいよ、これから、
湊川の合戦というところ、まず、今晩はこれぎり」
南玉の、声がして、すぐ、ちらっ....
「楠公夫人」より 著者:上村松園
来ないけれど、いまここで語っていいものに楠公夫人の像がある。 三年ほど前に神戸
湊川神社の宮司が私の宅に見えて、 「楠公夫人の像を描いて奉納してもらいたい」 ....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
、しかもその勇気は、撓まず滅せず、いやさらに燃えさかるのであります。 楠正成が
湊川の戦いに、みすみす負け戦と判っていながら、勇気凜々と戦場に立ち向ったのは、正....