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源右衛門
「源右衛門〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
源右衛門の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「取返し物語」より 著者:岡本かの子
。世に言う「御文章」の筆者。六十九歳。 竹原の幸子坊 上人常随の侍僧。 堅田の
源右衛門 堅田ノ浦の漁師頭。六十二歳。多少武士の血をひいて居る。 同源兵衛 ....
「探偵夜話」より 著者:岡本綺堂
った。 すると、来年の二月の末になって、ここらも漸く春めいて来た頃に、隣り村の
源右衛門という百姓が突然拘引された。
源右衛門はもう五十以上の男で、これまで別に悪....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
《ほうき》の屋敷から使が来た。稲川は千五百石の大身《たいしん》で、その用人の石田
源右衛門が自身に出向いて来たのであるから、河内屋でも疎略には扱わず、すぐ奥の座敷....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
戸に着いて、三月上旬に登城するのが習いで、オランダ人は日本橋|石町三丁目の長崎屋
源右衛門方に宿を取ることに決まっていました。その時には将軍家に種々の献上物をする....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
を勤めさせて居ります」と、祥慶は答えた。「ほかは納所の了哲と小坊主の智心、寺男の
源右衛門、あわせて五人でござります」 「寺男の
源右衛門というのは幾つで、どこの生....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
、質店の場で団十郎がちょい乗せの善六を見せることになったのである。その相棒の松屋
源右衛門は左団次、山家屋清兵衛が芝翫、油屋の後家が秀調、多三郎が鶴松、お糸が政次....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
父と共に住居して居る大矢野島に並んだ千束島に、大矢野松右衛門、千束善右衛門、大江
源右衛門、森宗意、山善左衛門と云う五人の宗門長老の者達が居た。これ等はこの島に隠....
「碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
勒院の野には忽ち人馬の馳せかう音、豆を煎る銃声、剣戟の響が天地をゆるがした。天野
源右衛門三十騎計りで馳せ向うが、明軍は密集部隊であるから馬を入れる隙が無い。引返....
「蘭学事始」より 著者:菊池寛
一 杉田玄白が、新大橋の中邸を出て、本石町三丁目の長崎屋
源右衛門方へ着いたのは、巳刻《みのこく》を少し回ったばかりだった。 が、顔馴染....
「剣侠」より 著者:国枝史郎
て賭場をひらいた。 この時集まって来た貸元衆といえば―― 白子の琴次、一柳の
源右衛門、廣澤の兵右衛門、江尻の和助、妙義の雷蔵、小金井の半助、御輿の三右衛門、....
「正雪の遺書」より 著者:国枝史郎
てずズラリと居流れて居ます。戸次与左衛門、四宮隼人、永井兵左衛門、坪内作馬、石橋
源右衛門、鵜野九郎右衛門、桜井三右衛門、有竹作左衛門、これらの輩は一味の中でもい....
「前記天満焼」より 著者:国枝史郎
うなあぶなさがある。 加賀家百万石の御用商人、加賀屋と云って大金持、その主人を
源右衛門と云ったが、その息子の源三郎なのであった。 「キ、切るゾ――ッ! キ、切....
「わが血を追ふ人々」より 著者:坂口安吾
ことであつた。 男には五名の配下があつた。医者の森宗意軒、松右衛門、善右衛門、
源右衛門、源左衛門で、いづれも六十前後の老人、天草の諸方に住む切支丹の世話役であ....
「狂言の神」より 著者:太宰治
蔵。明治四十二年六月十九日、青森県北津軽郡金木町に生れた。亡父は貴族院議員、手沼
源右衛門。母は高《たか》。謙蔵は、その六男たり。同町小学校を経て、大正十二年青森....
「地球図」より 著者:太宰治
《さと》した。人々は、承知した、と答えて審問の席に臨んだ。そのときの大通事は今村
源右衛門。稽古通事は品川兵次郎、嘉福喜蔵。 その日のひるすぎ、白石はシロオテと....