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「源平〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

源平の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
俊寛」より 著者:芥川竜之介
…唯仏法を修行《しゅぎょう》して、今度《こんど》生死《しょうし》を出で給うべし。源平盛衰記《げんぺいせいすいき》 (俊寛)いとど思いの深くなれば、かくぞ思いつづ....
箕輪心中」より 著者:岡本綺堂
らに枕もとの床の間の方へ軽くなびいて行った。綾衣は雛を祭らなかったが、床の間には源平の桃の花が生けてあった。外記は夜目に黒ずんだその花を見るともなしに眺めていた....
玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
雑人《ぞうにん》どもの争擾《そうじょう》を防ぐために、衛府の侍は申すにおよばず、源平の武士もことごとく河原をいましめと言い渡された。その日は八月八日と定められた....
後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
家《がいか》の歴史を書いてその中にはっきりといわずとも、ただ勤王家の精神をもって源平以来の外家の歴史を書いてわれわれに遺してくれた。今日の王政復古を持ち来《きた....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
た。 「今度の木挽町には訥升《とつしょう》が出ますよ。助高屋高助のせがれで以前は源平と云っていましたが、大阪から帰って来て、光秀の妹と矢口渡《やぐちのわたし》の....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
もある。美少年にも化ける、大入道にも化ける。あるときには立派な大名行列を見せる。源平|屋島《やしま》の合戦をみせる。こういう神通力《じんつうりき》をもっている狐....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
ではここに越智七郎左衛門という武士が住んでいたことを初めて発見した。七郎左衛門は源平時代からここに屋敷を構えていて、相当に有力の武士であったらしいのであるが、南....
伯爵の釵」より 著者:泉鏡花
らい驚異の念は起すまい。 烏帽子もともにこの装束は、織ものの模範、美術の表品、源平時代の参考として、かつて博覧会にも飾られた、鎌倉殿が秘蔵の、いずれ什物であっ....
星女郎」より 著者:泉鏡花
の、蓮田が稲田より風薫る。で、さまで旅らしい趣はないが、この駅を越すと竹の橋――源平盛衰記に==源氏の一手は樋口兼光大将にて、笠野富田を打廻り、竹の橋の搦手にこ....
白光」より 著者:井上紅梅
碗も洗ってしまったが、陳士成はまだ飯も作らない。ここの長屋を借りて住む趙錢李孫(源平藤橘)は長いしきたりを知っていて、およそ県試験の年頭に当り、成績が発表された....
役者の一生」より 著者:折口信夫
さい時分に東京へ来て、その当時の源之助(三代目)の子になり、沢村家のよい名である源平を名のった。初舞台が明治三年十二歳で、「夕霧伊左衛門」の吉田屋の娘という役で....
」より 著者:上村松園
嬢かとみれば夫人らしきところもあり……というのが、今の花嫁である。 そのむかし源平合戦の折り加賀の篠原で、手塚太郎が実盛を評して、侍大将と見れば雑兵のごときと....
葛飾砂子」より 著者:泉鏡花
|身体を衰えさして、年紀はまだ二十二というのに全盛の色もやや褪せて、素顔では、と源平の輩に遠慮をするようになると、二度三度、月の内に枕が上らない日があるようにな....
迷信解」より 著者:井上円了
て、わが国にて天狗の怪談の起こりたるは、およそ千年ほど以前のことである。そののち源平時代より足利時代に当たりて、その怪談が大いに流行したものと見ゆ。そのうちにて....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
歌舞伎座も新富座も好成績のうちに閉場した。この当時、千歳座は訥子、鬼丸、猿十郎、源平の一座で第二流の芝居を興行し、中村座は荒太郎、仙昇、多見丸などの上方俳優で興....