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源流
「源流〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
源流の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「人外魔境」より 著者:小栗虫太郎
道をふさぐか、それとも「|天母生上の雲湖《ハーモ・サムバ・チョウ》」へわけいって
源流を閉じるか、――その二者以外に遮断の方法はないと考えていた。なぜなら、水量が....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
めます。そこである家に宿りました。それから一日ほどの所にブラマプトラという大河の
源流である、チベット語のタムチョク・カンバブという川に着くことになって居るんです....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
クロイドン駅に降車す。林丘あり河流ありて、夏時の遊歩場に適す。その流水はヤラ川の
源流に当たる。この川、メルボルンに至りて海に入る。この辺り概して牧場にして、牛羊....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
』はあらゆる意味において、中世和歌伝統の淵源となった。ということは中世の「詩」の
源流となったということである。俊成の置かれたと同じ地位を、中世の公家が経験しなけ....
「エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
の村役人・町役人であったのである。 エタの本来いかなるものなるかは、別項「エタ
源流考」に説いておいた。彼らは鎌倉・室町時代には、キヨメ或いは河原ノ者と呼ばれて....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
では民族の異同によって甚だしくこれを賤しむということはありません。もっとも穢多の
源流を尋ねてみますと、皮革業者や肉食習慣者以外、種々のものがあって、今日既に解放....
「特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
嫌われなかった際に於いては、それがさらに少からぬものであったであろう。また「エタ
源流考」に説くところの如く、社会の落伍者がここに流れ込んだのも多かろう。所謂「生....
「特殊部落と寺院」より 著者:喜田貞吉
エタ必ずしも一流ではなく、衆流の落ち合った陰鬱なる水溜りであることは、別に「エタ
源流考」に於いて説明しておいた通りである。そしてこれら殉教者の徒も、法の為にこの....
「遠州地方の足洗」より 著者:喜田貞吉
らこの地方の気風が、特殊民に対して寛大であった為かとも解せられる。しかも「エタの
源流」如何を考えてみれば、これはむしろ当然の事で、他の地方で特に圧迫の多いのは、....
「エタと非人と普通人」より 著者:喜田貞吉
の如く解せられてはいたが、本をただせばそう区別のあったものでない事は、別項「エタ
源流考」に於いて説いておいた。鎌倉時代にはキヨメをエタと呼んでいた。室町時代には....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
や放牧の世話をしていたものに、餌取・余戸等の失職者が落ち合ったのを以て、所謂エタ
源流中の本流とすべきものと解せられる。その中にも、「穢多の始は吉祥院の南の小島を....
「「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
れておって、子孫の末まで足洗が出来ぬという様な思想があるべき等がない。別項「エタ
源流考」中に於いて述べた通り、所謂エタの中には、もとエタならぬものが多く流れ込ん....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
、とうとうそれは掲載せずにしまったような次第であった。しかしとりあえずその「エタ
源流考」中に「エタと産所」の一節を設けて、当時自分の考えていたところの一斑だけは....
「放免考」より 著者:喜田貞吉
・坂の者・散所の者などは、往々後世の唱門師・宿・エタ等の元祖となったもので、その
源流の一つとしてこの放免が数えらるることは、到底疑いを容るべからざるものであろう....
「日本料理の要点」より 著者:北大路魯山人
、単に茶寮の幹部がみな京都人であるからばかりでなく、日本料理というものが、京都を
源流にして発達しているからであって、京都という土地は、言わば日本料理の家元なので....