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「源空〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

源空の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
き行ったんですよ。するてえと、そのかえり道に切り通しを上がってきたらね、あそこの源空寺っていうお寺の門前で、しきりとこのお小僧さんが、その門のところにひっころが....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ら、みんな不思議がったに相違ありません。お琴は奉公中に主人の店をぬけだして、浅草源空寺門前の善兵衛というものを家来に仕立て、例の日野家息女をふりまわして、正二位....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
、なにぶん道中が長いので、つい出おくれていましたが、忘れもしない嘉永二年、浅草の源空寺で幡随院長兵衛の三百回忌の法事があった年でした。長兵衛の法事は四月の十三日....
出家とその弟子」より 著者:倉田百三
くゆうゆうとおぼしめしたもうべし。くれぐれこの御心もち、忘れたもうまじく候なり。源空。母上様。(手紙を巻き返しつつ)終わりのほうを読むのはあまりに恐ろしゅうござ....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
八日が誕生日です。 その頃は、随分|辺鄙なむさくるしい土地であった。江戸下谷|源空寺門前といった所で、大黒屋繁蔵というのが大屋さんであった。それで長屋建てで、....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
床屋の話が出たついで故、ちょっと話しましょう。当時の髪結床は、今のように小ざっぱりしたものではなく、特にこういう源空寺門前といったような場末では、そりゃ、じじむさいものでした。 源空寺門前と....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
そこで、これから師東雲先生の生い立ちを話します。 東雲師は元奥村藤次郎といった人で、前述の通り下谷北清島長(源空寺門前)の生まれである。その師匠が当時江戸で一、二を争うところの仏師高橋|法....
連環記」より 著者:幸田露伴
よって往生浄土を心にかけたのみの、まことに素直な仏徒ではあったが、此時はまだ後の源空以後の念仏宗のような教義が世に行われていたのでなく、したがって捨閉擱抛と、他....
一枚絵の女」より 著者:国枝史郎
うに」 ずっと離れた石燈籠の裾に、襤褸のように固まって始終を見ていた、新発意の源空は呟いた。 (わしはあのお方がこれで三人も、人を殺したのを見たのだが、幾人こ....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
渡ると、右角が海禅寺(これは阿波様のお寺)、二丁ほど行くと、右側が東明寺で、左が源空寺……すなわち源空寺門前の父の家のある所で、私は久しぶり、我が家へ帰って来たのでありました。....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
んおきせさんなど姉妹の都合の好いままに任せ、私は自分の家なる前回|度々申した彼の源空寺門前の親たちの家にいることになりました。 もうこの頃では北清島町という町....
親鸞」より 著者:三木清
られる。親鸞はこの伝統をインドの竜樹、天親、支那の曇鸞、道綽、善導、日本の源信、源空の七人の祖師において見た。彼は「高僧和讃」を作ってこれら七祖を讃詠したのであ....
法然行伝」より 著者:中里介山
房叡空は随喜して、法然房と号し、実名は最初の師源光の上の名と叡空の下の字をとって源空と名をつけられた。 こうして法然といい、源空という生涯を通じてのよび名を十....
旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
であるという見地から云えば、その悪事をするものはすなわち悪人である。浄土宗の開祖源空上人の「遣北越書」に、「※ゝ月見てもなぞ」とあるに至っては、馬牛の皮を扱う河....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
。この源信が自身手を下して、下層民を済度したことはあまり知らないが、その後に出た源空すなわち浄土宗の開祖の法然上人大いにこれを祖述するに至って、浄土欣求のこの念....