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「溝口〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

溝口の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
さまおこよ様のご父君松坂|兵衛《ひょうえ》様とおっしゃるおかたが、国もと新発田の溝口《みぞぐち》藩に、やはりご祐筆《ゆうひつ》として長らくお仕えでござりましたゆ....
仇討三態」より 著者:菊池寛
は、その翌日である。 その二 越後国|蒲原郡新発田の城主、溝口|伯耆守の家来、鈴木忠次郎、忠三郎の兄弟は、敵討の旅に出てから、八年ぶりに、....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
古く住んで、常に八九十から百人あまりの弟子を教えていて、書流は江戸時代に最も多い溝口流であった。手習い一方でなく、十露盤も教えていたが、人物も手堅く、教授もなか....
忘れえぬ人々」より 著者:国木田独歩
多摩川の二子の渡しをわたって少しばかり行くと溝口という宿場がある。その中ほどに亀屋という旅人宿がある。ちょうど三月の初めのこ....
旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
りませぬ。大目付様、おしのびで参りましたぞ」 「大目付にも多勢ある。誰じゃ」 「溝口豊後守様でござります」 「ほほう、豊後とのう。智恵者が参ったな」 主水之介....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
来の高弟亀井平右衛門|忠雄《ただお》で、これがまた伊藤を名乗る。忠雄の次が新たに溝口《みぞぐち》派の名を残した人、溝口五左衛門正勝というものであります。 武蔵....
新版 放浪記」より 著者:林芙美子
た今日の日を思った。――萩原さんとこのお節ちゃんに、お米も二升もらったり、画描の溝口《みぞぐち》さんは、折角北海道から送って来たと云う餅を、風呂敷に分けてくれた....
探偵夜話」より 著者:岡本綺堂
い。後日に偶然聞き出したのであることを、まず最初に断わっておく。僕の叔父の知人に溝口|杞玄という医師がある。その医師がこの新聞をみると、すぐに京橋の警察署へ出頭....
有喜世新聞の話」より 著者:岡本綺堂
ない。後日に偶然聞き出したのであることを、まず最初に断っておく。僕の叔父の知人に溝口|杞玄という医師がある。その医師がこの新聞をみると、すぐに京橋の警察署へ出頭....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
第一期の普通科には、大村西崖、横山大観、下村観山、白井雨山、関保之助、岡本勝元、溝口禎次郎、島田|佳矣、本田佑輔、高屋徳太郎の諸氏でありました。専修科になって、....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
いたのを県の書記官の秦氏に見出され、その人から博物館長の股野氏にたのみ、同氏より溝口美術部長を介して私の門下となったのです。当時私は、「子供の時に郷里で名を謳わ....
丸の内」より 著者:高浜虚子
平新太郎の屋敷に当り、元禄年間は松平内蔵の屋敷と戸田兵部の屋敷に当り、文化年間は溝口駒之介の屋敷に当り、嘉永年間は織田兵部の邸に当っていたようである。 ....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
女形として漸次にその位地を進め、後に市川門之助となったのである。その後の春木座は溝口権三郎という人が経営することになって、俳優の顔触れも興行の方法もまったく鳥熊....
四つの都」より 著者:織田作之助
に過ぎやしないだろうか、それに私のシナリオ・ライタとしての適不適も未知数(かつて溝口氏のために「わが町」のストーリを書いたことはあるにせよ)であるし、恐らく大船....
わが町」より 著者:織田作之助
が、何か生理的に来て、次郎は額の写真を暫らく見上げていた。 附記 この作品は、溝口健二氏演出映画の原作として書いたものを、短篇小説として書き改めたものであります。....