溝橋[語句情報] » 溝橋

「溝橋〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

溝橋の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
軍用鮫」より 著者:海野十三
であることをぜんぜん知らないらしいことに気がついた。 そこで気がついて、彼は蘆溝橋事件からはじまった中国対東洋鬼国との戦闘経過をのこりなく一部始終を説明したと....
作家の手帖」より 著者:太宰治
於いて、この七夕も、ちがった意味を有って来ているのである。昭和十二年七月七日、蘆溝橋に於いて忘るべからざる銃声一発とどろいた。私のけしからぬ空想も、きれいに雲散....
乳房」より 著者:宮本百合子
ノがやられた。 ひろ子が子供らの駆虫剤をもらいに診療所へ行ってかえって来たら、溝橋のところに二郎と袖子がこっちを見て立っていた。遠くでひろ子の姿を見つけると、....
今日の文学の展望」より 著者:宮本百合子
。石川達三氏「日蔭の村」も或る報告文学の試みとして注意をあつめた。 本年七月蘆溝橋の事件に端を発した日支事変は、秋以後、前線に赴いてのルポルタージュとして、文....
昭和の十四年間」より 著者:宮本百合子
から中野重治「汽車の罐焚き」や徳永直の「八年制」などが書かれた。 この年七月蘆溝橋に轟いた銃声は日本の社会の相貌を急変させたと同時に、その年の秋には報告文学の....
婦人と文学」より 著者:宮本百合子
家はテーマを失ったばかりでなく、それ以前に、文学を失った。 一九三七年七月、蘆溝橋ではじめられた日本の中国に対する侵略戦争は、忽ち、林房雄、尾崎士郎という人々....
あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」より 著者:宮本百合子
猛、ドイツ篇―和田洋一) けれども日本の一九三七年はメーデーを正式に禁止し、蘆溝橋事件をきっかけに中国への侵略戦争が拡大されつつあった。日独伊防共協定が調印さ....
年譜」より 著者:宮本百合子
会時評)、含蓄ある歳月。(作家論) 一九三七年(昭和十二年) この年七月、蘆溝橋事件を挑発のモメントとして日本の天皇制権力は中国に対する侵略戦争をはじめた。....
」より 著者:犬田卯
のようなことがあってから、約一ヵ年半の月日が経過していた。あの年の夏に勃発した蘆溝橋事件が意外な発展をとげて、いまや日支両国は全面的な戦争状態にまで捲きこまれて....
樹氷」より 著者:三好十郎
がでける。国際連盟を脱退するの、二・二六事件というのもありやしたね……そいから蘆溝橋で戦争が始まって、日支事変が焼けひろがる。へえ、わしらには何のことやらわから....
原子爆弾雑話」より 著者:中谷宇吉郎
昭和十二年の七月、北支《ほくし》の蘆溝橋《ろこうきょう》に起った一事件は、その後政府の不拡大方針にもかかわらず、目に....