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滅後
「滅後〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
滅後の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
ところが大集経というお経には更にその最初の二千五百年の詳細な予言があるのです。仏
滅後(お釈迦様が亡くなってから後)の最初の五百年が解脱の時代で、仏様の教えを守る....
「鶴は病みき」より 著者:岡本かの子
する観念の方へ就くんですね。」氏「僕は生死一如とは考えない。死はどこまでも生の壊
滅後に来る暗黒世界だと、観念の眼を閉じて居るけれど、たった一つ残す自分の仕事によ....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
江雪斎と云った。秀吉の寛大歎ずべしだ。柴田勝家の甥なる在久間安次とその弟は、勝家
滅後大和に在って、秀吉に抗していたが、そこも落されて、小田原に籠り、小田原落城後....
「出家とその弟子」より 著者:倉田百三
ざいますからね。 僧二 誠に念仏宗の柱石でいらっしゃいます。 僧三 法然聖人御入
滅後法敵多き浄土門を一身に引き受けて今日の御繁盛をきたしましたのは、まったくお師....
「永遠のみどり」より 著者:原民喜
えで》の生々しい姿は、あの家の最後のイメージとして彼の目に残っている。それから壊
滅後一カ月あまりして、はじめてこの辺にやって来てみると、一めんの燃えがらのなかに....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
トンの豕と等しく早く既に解説が一定せなんだのだ。 内典を閲するに、仏や諸大弟子
滅後久しからぬにこんな故事附けが持ち上ったと見え、迦多演那尊者《かたえんなそんじ....
「戦話」より 著者:岩野泡鳴
い、聨隊の全滅であったんやさかい、僕の中隊で僕ともう一人ほか生還しやへんのや。全
滅後、死体の収容も出来んで、そのまま翌年の一月十二三日、乃ち、旅順開城後までほッ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
連続的に鳴り出して来ました、 「御承知の通り、馬鳴菩薩のお作でございまして、釈尊
滅後六百年の後小乗が漸《ようや》く盛んになりまして大乗が漸く衰え行くのを歎いて、....
「学生と先哲」より 著者:倉田百三
かなわせんため、自己をキリストと自覚したのと同じように。釈迦の予言によれば、釈迦
滅後、五百歳ずつを一区画として、正法千年、像法千年を経て第五の末法の五百年に、「....
「酒渇記」より 著者:佐藤垢石
え、大力の上に早業をよくし城の塀など飛鳥のように飛び越す武人であったが、小野木家
滅後細川家へ仕えたのである。そして二千石を領していた。 蔵人は、父の死後も身持....
「親鸞」より 著者:三木清
。我々はまずこの歴史観がいかなるものであるかを見よう。 正像末三時の思想は、仏
滅後の歴史を正法、像法、末法の三つの時代に区分する歴史観である。この三時の際限に....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
る。悪魔ほど如来によう似せるものだ。釈迦牟尼如来より第五代目の優婆掬多尊者は、仏
滅後に生れた方で全く仏陀にはお遇い申すことが出来なかった。で、ある時真の仏陀すな....
「法然行伝」より 著者:中里介山
いう者は学問にかけては必ずしも先達であるからということはないのである。釈迦如来の
滅後五百年に五百の羅漢が集って婆沙論《ばしゃろん》を作ったのに、九百年に世親《せ....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
めておられるのである。また浄土宗の開祖法然上人の晩年に際して、弟子法蓮房が上人入
滅後何処を遺蹟とすべきやと問うたのに対して、上人の答えた語を「行状画図」に記して....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
これが仏の思召にかなっていると信ずるに至ったのである。そして同時に世界の統一は仏
滅後二千五百年までに完成するものとの推論に達した。そうすると軍事上の判断と甚だ近....