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演舞
「演舞〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
演舞の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
わかっているものだけでも、九段上、番町界隈、銀座一丁目より築地ヘ。新橋駅より新橋
演舞場の方へかけて、白金台町附近、高樹町、霞町、浅草観音さま本堂、本郷三丁目より....
「正義と微笑」より 著者:太宰治
なんだか淋しい。家が、がらんとしている。晩ごはんをすましてから、兄さんと相談して
演舞場へ行ってみる事にした。木島さんをも誘った。おシュン婆さんはお留守番。 演....
「大阪を歩く」より 著者:直木三十五
大阪人も、己の育てた劇場の無いのを、淋しがる日がくるであろう。 東京劇場、新橋
演舞場、歌舞伎座、帝国劇場と、華美をつくした劇場をもっている東京が、収支つぐなわ....
「炎天汗談」より 著者:太宰治
すら感服するように心掛けています。 これは、画の話ではありませんが、先日、新橋
演舞場へ文楽を見に行きました。文楽は学生時代にいちど見たきりで、ほとんど十年振り....
「夏目先生と滝田さん」より 著者:芥川竜之介
ょうが蒐集癖は大分薄らいだようです。最後に会ったのはたしか四五月頃でしたか、新橋
演舞場の廊下で誰か後から僕の名を呼ぶのでふり返って見ても暫く誰だか分らなかった。....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
り、だんだんと狂言小屋や、角力場のような光景に化して行った。 初めは男ばかりの
演舞であったがとうとう女役が登場しだした。見物はそれを待っていたのだ。 いの一....
「朱絃舎浜子」より 著者:長谷川時雨
養子にいっていた時の名――現今《いま》でもあのあたりは、歌舞伎座、東京劇場、新橋
演舞場が鼎立《ていりつ》している。 守田座移転は明治四年だというが、新富町新富....
「宝塚生い立ちの記」より 著者:小林一三
ったらすぐに高輪の毛利公爵の婦人教育会に招ばれた。帝劇へ出たのをきっかけに、新橋
演舞場、歌舞伎座と出るようになって、これなら東京でもできるということがわかったか....
「東京宝塚劇場の再開に憶う」より 著者:小林一三
私は、関西で創立した宝塚歌劇を、何んとか東都に進出させ度いとかんがえて東京の市村座・歌舞伎座・新橋
演舞場・帝国劇場等に出演させて、その様子を見て居りましたところ、充分成功する見透....
「香熊」より 著者:佐藤垢石
にかけては日本一の権威であり、珠実嬢は花柳を五条に改名してから、近くはじめて新橋
演舞場で公演するが、その出しものは金田一博士の指導により、アイヌの熊踊りである。....
「勘平の死」より 著者:岡本綺堂
損料屋。芝居見物の男女など 大正一四・一二作 『演劇・映画』 大正一五・二、新橋
演舞場初演 第一幕 京橋|具足町の和泉屋という金物屋の奥座敷。初午祭の素人芝....
「久保田米斎君の思い出」より 著者:岡本綺堂
の東劇の舞台装置もなすった位だし、二月の六日の晩、私は行かなかったけれども、新橋
演舞場で米斎君に逢ったという人がある。そんな調子なら心配はあるまいと思っていると....
「挿話」より 著者:徳田秋声
けれど」 「この弁当は」道太は子供のように今一つの弁当を捻くっていた。 「それは
演舞場へお稽古に行くときのお弁当や」 「しかし芝居見物もこんなふうにしてゆくとお....
「俗臭」より 著者:織田作之助
を感じたのが原因だ。 見合は、千満子のお琴の会という名目で行われた。会場の北陽
演舞場で振袖姿の千満子が師匠と連奏するのを、新郎たるべき人が鑑賞したのである。彼....
「新古細句銀座通」より 著者:岸田劉生
。破風造りなども概念的な感じがしていやだ。内部も私は好まない。これに比べれば新橋
演舞場の方がまだ、下手なライト式ではありながら、素直に西洋風になっているだけでも....