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漢土
「漢土〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
漢土の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
でも出来る。わしにでも出来る。ビードロやの主人にでも出来る。ああ云う事をする者を
漢土《かんど》では玉人《きゅうじん》と称したもので至って身分の軽いものだ」と云い....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
成るは一朝一夕のゆえにあらざるなり、本朝古代のありさまはこれを知ること詳ならず。
漢土儒道の入り来たりし以来、わが国人はその感化を受けたること多からん、支那仏教の....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
う読まれた。 「ああそれではこのお方は役ノ小角であったのか。文武天皇大宝元年に、
漢土へ渡ったと記されてあるが、それではその後この地へ帰り、ここで入定されたものと....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
ぞれの人物になぞらえて、時代の相を描き出してある。その時になって見ると、遠い昔に
漢土の文物を採り入れようとした初めのころのこの国の社会もこんなであったろうかと疑....
「死者の書」より 著者:折口信夫
だけは、やはり神代以来の氏上づきあいが、ええ。 新しい唐の制度の模倣ばかりして、
漢土の才が、やまと心に入り替ったと謂われて居る此人が、こんな嬉しいことを言う。家....
「水の女」より 著者:折口信夫
実は夢のように消えた後では、深淵の中の機織る女になってしまう。 七夕の乞巧奠は
漢土の伝承をまる写しにしたように思うている人が多い。ところが存外、今なお古代の姿....
「学生と先哲」より 著者:倉田百三
り出でて西を照らす。天然の理、誰かこの理をやぶらんや」といい、「わが日本国は月氏
漢土にも越え、八万の国にも勝れたる国ぞかし」ともいった。「光は東方より」の大精神....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
に卯の花熱が急に昂まって、殿中の女房たちを田園に引き寄せた事実に対して、うつぎを
漢土から渡来のものではあるまいかとの考を述べてある。外国からの伝来には種々な動機....
「弓道中祖伝」より 著者:国枝史郎
射シム、由基始メ弓ヲ調ベ矢ヲ矯ム、猿|乃チ樹ヲ抱イテ号ブ」 それ程までに秀でた
漢土弓道の大家、その養由基の射法の極意を、完全に記した『養由基』一巻、手写した人....
「釘抜藤吉捕物覚書」より 著者:林不忘
朝早くそれらのかざり物を焼き捨てる。二日の書初めを燃やす。これは往古《むかし》、
漢土から爆竹の風が伝わって、左義長《さぎちょう》と言って代々行われた土俗が遺って....
「憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
いても、時には随分思い切った神通力を振り舞わすと信ぜられたもので、今昔物語十に、
漢土の或る修行者が宮迦羅すなわち矜迦羅童子を念じて、毎晩宮中から三千の宮女中の最....
「夕立」より 著者:永井荷風
せき》われハドソン河上の緑蔭を歩みし時驟雨を渡頭《ととう》の船に避けしことあり。
漢土《かんど》には白雨を詠じたる詩にして人口に膾炙するもの東坡《とうば》が望湖楼....
「五重塔」より 著者:幸田露伴
なりし達膩伽尊者の噂はあれど世尊在世の御時にもかく快きことありしをいまだきかねば
漢土にもきかず、いで落成の式あらば我|偈を作らん文を作らん、我歌をよみ詩を作して....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
とかこたえ歌とかいう意味で、日本の歌の意味ではない。しかし倭歌と記してある方は、
漢土で日本のことを倭といった用法にしたがったのであるから、日本の歌の意味であるこ....
「私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
私はその男の家に世話になることができた。男の名は大宮定吉と言い、私の推察どおり大
漢土木公司の親方であった。与えられた仕事は京城市の東南の龍山にある漢江の河原に出....