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漢学
「漢学〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
漢学の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或る女」より 著者:有島武郎
してしまった。
七
葉子はその朝横浜の郵船会社の永田から手紙を受け取った。
漢学者らしい風格の、上手《じょうず》な字で唐紙牋《とうしせん》に書かれた文句には....
「食魔」より 著者:岡本かの子
」 鼈四郎は吐くようにこういって腕組みをした。 この市隠荘はお絹等姉妹の父で
漢学者の荒木蛍雪が、中橋の表通りに画帖や拓本を売る蛍雪館の店を開いていた時分に、....
「黒百合」より 著者:泉鏡花
が絶えて無いので、三年間千破矢家を預っていて今も滝太郎を守立ててる竜川守膳という
漢学者。 守膳は学校の先生から滝太郎の母親の遺書を受取ったが、その時は早や滝太....
「歯車」より 著者:芥川竜之介
|獅子のように白い頬髯を伸ばした老人だった。のみならず僕も名を知っていた或名高い
漢学者だった。従って又僕等の話はいつか古典の上へ落ちて行った。 「麒麟はつまり一....
「お住の霊」より 著者:岡本綺堂
久の頃の事。その思召で御覧を願う。その頃、麹町霞ヶ関に江原桂助という旗下(これは
漢学に達して、後には御目附に出身した人)が住んでいた。その妹は五年以前、飯田町に....
「作画について」より 著者:上村松園
ろなかたちで影響されつつ描いた、言わば試作であり習作であったのですが、幼い頃から
漢学、歴史は好き嫌いの別なく自分の修養の世界でありましたし、ことに絵画的場面をひ....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
ほど耳と目を肥やしておかなくてはならないようでございます。若い時は市村水香先生に
漢学を、長尾雨山先生に漢詩の講義など聴いて勉強いたしました。時代時代の衣裳の研究....
「孟母断機」より 著者:上村松園
を描いたのは、明治三十二年であった。 そのころ、わたくしは市村水香先生に就いて
漢学を勉強してい、その御講義に、この話が出たので、いたく刺戟されて筆を執ったもの....
「二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
に染込んでいて、この根深い因襲を根本から剿絶する事が容易でなかった。二葉亭も根が
漢学育ちで魏叔子や壮悔堂を毎日繰返し、同じ心持で清少納言や鴨長明を読み、馬琴や京....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
ほ留まりて江戸の邸を守り給へり。 尾州に到りてのちに初めて学に就けり。組外れに
漢学塾ありたりしが、その門に入りて
漢学を修めり。また余の叔父なる人にも就きて素読....
「露伴の出世咄」より 著者:内田魯庵
訊いて、初めて幸田露伴というマダ青年の秀才の初めての試みであると解った。 翁は
漢学者に似気ない開けた人で、才能を認めると年齢を忘れて少しも先輩ぶらずに対等に遇....
「今日になるまで」より 著者:上村松園
習い、次に幸野楳嶺先生に花鳥を習い、次に竹内栖鳳先生に師事しました。また十九の頃
漢学も習い始めました。その時分の京都では狩野派や四条派の花鳥山水が全盛で、人物画....
「想い出」より 著者:上村松園
私は、絵の勉強の傍ら、先に申しました絵の手ほどきの野村先生が儒者であった為か、
漢学が何となく好きで、私が二十位の頃、松年先生の御了解を得まして、幸野楳嶺先生の....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
くすぐったかった。島の文化は流罪人から非常な影響を受けたことは事実で、父も流人の
漢学の素養のある人から日本外史、十八史略などを教えられたそうだ。私は母とともに十....
「素晴しい記念品」より 著者:大倉燁子
されて、財産をすててしまい、私の知っていた頃にはお母さんがお琴の師匠、池谷さんが
漢学の先生、奥様が賃仕事をしていた。奥様は恋女房だという噂であった、貧しいが他目....