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漢文
「漢文〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
漢文の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「大導寺信輔の半生」より 著者:芥川竜之介
読んでいることに外ならなかった。又彼等の或ものは――それは左の眼に義眼をした国語
漢文の教師だった。この教師は彼の武芸や競技に興味のないことを喜ばなかった。その為....
「後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
れわれの文学者になれないのは筆が執《と》れないからなれないのではない、われわれに
漢文が書けないから文学者になれないのでもない。われわれの心に鬱勃《うつぼつ》たる....
「軍用鮫」より 著者:海野十三
中に顔を埋めた。 そこには、墨くろぐろと、次のような文章が返り点のついていない
漢文で認めてあった。 ――支那大陸紀元八十万一年重陽の佳日、中国軍政府最高主席....
「追憶」より 著者:芥川竜之介
二〇 学問 僕は小学校へはいった時から、この「お師匠さん」の一人|息子に英語と
漢文と習字とを習った。が、どれも進歩しなかった。ただ英語はTやDの発音を覚えたく....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
らい多いようだった。 高等小学校にはいってからは、学校のほかにも、英語や数学や
漢文を教わりに私塾に通った。英語は前にいた片田町の家の隣りの速見という先生に就い....
「渾沌未分」より 著者:岡本かの子
に在った。父は夏以外ふだんの職業として反物のたとう紙やペーパアを引受けていた。和
漢文の素養のある上に、ちょっと英語を習った。それでアドレスや請求文を書いて、父は....
「河明り」より 著者:岡本かの子
持ってるかも知れないのね」 娘は少し赫くなった。 「……私の母が妙な母でした。
漢文と俳句が好きで、それだのに常盤津の名取りでしたし、築地のサンマー英語学校の優....
「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
は未だ高等学校内の少年の団体であって世間に顔出ししてなかった。依然として国文及び
漢文が文学の中堅として見られていた。 二十五年前には今の日比谷の公園の片隅に、....
「明治十年前後」より 著者:淡島寒月
者であって、西欧の文明に対して、打ち克ち難い憧憬をもっていた者である。私は実に、
漢文よりはさきに横文字を習った。実はごく若い頃は、あちらの文明に憧れたあまり、ア....
「孔乙己」より 著者:井上紅梅
ハギもせず洗濯もせず、十何年も一つものでおっとおしているようだ。彼の言葉は全部が
漢文で、口から出るのは「之乎者也」ばかりだから、人が聞けば解るような解らぬような....
「新学期行進曲」より 著者:海野十三
覚えていれば、いいんだよ。受験書なんか、一冊で沢山だ。この間も勘定したら、お前は
漢文の受験参考書だけでも二十七冊も集めていやがった。まるで蒐集マニアだ。 母親 ....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
なった馬琴である。その頃はもう黄表紙時代と変って同じ戯作の筆を執っていても自作に
漢文の序文を書き漢詩の像讃をした見識であったから、昔を忘れたのは余り褒められない....
「二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
の時は消え入りたいような気持がした。 その時私より三、四十分も遅れて大学の古典
漢文科の出身だというYが来問した。この人の口から日本将来の文章という問題が提起さ....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
のであって、その下画らしいものが先年の椿岳展覧会にも二、三枚見えた。依田学海翁の
漢文の椿岳伝が屏風の裏に貼ってあったそうだが、学海の椿岳伝は『譚海』の中にも載っ....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
本や小説に沈潜して好んで馬琴や近松の真似をしたが、根が漢学育ちで国文よりはむしろ
漢文を喜び、かつ深く露西亜文に親んでいたから、容易に国文の因襲を脱して思切って大....