漢方医[語句情報] »
漢方医
「漢方医〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
漢方医の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「真景累ヶ淵」より 著者:三遊亭円朝
が、何《ど》うか行って買って来て、私が行って上げたいが手が放されないから」
*「
漢方医の調剤する腹痛の丸薬。こくがんし」
惣「有難う」
尼「茲《こゝ》にお銭....
「街頭から見た新東京の裏面」より 著者:杉山萠円
が最流行したと記録に残っている。そのほかおろし婆、御祈祷師なぞは勿論の事、普通の
漢方医でも内々この医術を売り物にしていたと察せられる。一説に依ると、徳川時代のす....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
頃にはまじめにそう云い触らす者が幾らもある。素人《しろうと》ばかりでなく、在来の
漢方医のうちにも植疱瘡を信じないで、かれこれと難癖をつける者がある。それですから....
「大切な雰囲気」より 著者:小出楢重
床の間を照して、その滝はすがすがしくも落ちていた。 甚だ病弱だった私は裏に住む
漢方医者に腹を撫でてもらいながらも、その滝に見惚れた。その医者が、ちょっと竹に雀....
「黒百合」より 著者:泉鏡花
静を養うために古屋を購った別業の荒れたのである。近所に、癩病医者だと人はいうが、
漢方医のある、その隣家の荒物屋で駄菓子、油、蚊遣香までも商っている婆さんが来て、....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
いたり、かかえられたりするようになった。 その家の右隣りの古板塀が、村上という
漢方医者だった。その隣りが滝床《たきどこ》――滝床といっても理髪店《とこや》では....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
》でよせられた富士山形の灰の上に香《こう》がくゆっている。二面の二絃琴の間には、
漢方医がもたせてあるいた薬箱が、丁度両横から押出すようになっていて具合がよいので....
「自由人」より 著者:豊島与志雄
其人ヲ看テ其病ヲ看ズ」とあり、一つには、「静ニ処シテ以テ動ヲ観ル」とある。前者は
漢方医学の真諦であり、後者は周自身の心境であろうか。 夫人の素英が茶菓を運んで....
「「吶喊」原序」より 著者:井上紅梅
学は教えられなかったが、木版刷の全体新論や科学衛生論というようなものを見て、前の
漢方医の議論や処方を想い出し、比較してみると、支那医者は有意無意の差こそはあれ、....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
。お前もまわりの者がみんな志呂足の信者では心細かろう。オレの知人に御家人クズレの
漢方医がいて、夫婦ともに世なれた人だから、この人を差し向けて上げよう。礼を厚くも....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
、それも光子の目にとまったとみて打ちあけたようである。 この村の伊川良伯という
漢方医が多久家と共に東京に移住していた。先祖代々多久家の侍医の家柄であるから、主....
「朱絃舎浜子」より 著者:長谷川時雨
女の芸術が面白くなくなる憂いがありはしないかと、余計な憎まれ口を叩《たた》いて、
漢方医者の薬味箪笥《やくみだんす》のように、沢山の引出しがあり、一々、書附けが張....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
ったのでしょう。 外に『多紀氏の事蹟』という著述もあります。多紀氏は江戸時代の
漢方医学の牛耳を握って、あるいは医学校を創立して諸生を教え、あるいは書物を校刊し....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
と、先方の信仰力が強いので治るのか、薬がうまく病気にあてはまったのか、私も少しは
漢方医の事は聞き囓って居るものですから、それでまあどうにか自分の知って居る範囲内....
「雨の宿」より 著者:岩本素白
い勝手口で、横手の玄関に小さい古びた衝立を据えたところなども、土地馴れない眼には
漢方医者の家を客商売に造り替えたような感じを受ける。あとで聞けば殆どお馴染さんば....