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漢詩
「漢詩〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
漢詩の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「婦系図」より 著者:泉鏡花
皆そこから通学した。別家のようで且つ学問所、家厳はこれに桐楊塾と題したのである。
漢詩の嗜がある軍医だから、何等か桐楊の出処があろう、但しその義|審ならず。 英....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
。彼は私の持っている扇をみて、しきりに欲しそうな顔をしているので、私はその白扇に
漢詩の絶句をかいてやると、彼はよろこんで貰って行った。すると、一時間あまりの後に....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
ている。 陶器師は大きな欠伸をした。それから鼻唄をうたい出した。鼻唄と云っても
漢詩である。 春去夏来新樹辺、緑陰深処此留連、尋常性癖耽 その時一人の旅人が....
「武装せる市街」より 著者:黒島伝治
ってやがら。そら、まだ歌ってやがら。」 しかし、幹太郎は、その時、日本人として
漢詩を習った時のような感情にとらわれた。瞬間、彼は、ひどく淋しい感情に打たれた。....
「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
なる事象の一つであろう。 二十五年前には文学は一つの遊戯と見られていた。しかも
漢詩漢文や和歌国文は士太夫の慰みであるが、小説戯曲の如きは町人遊冶郎の道楽であっ....
「御萩と七種粥」より 著者:河上肇
青楓氏の画室を指したつもりであり、東山というのは京のひがしやまを指したのである。
漢詩の真似事を始めて間もない頃のこととて、詩は甚だ幼稚だが、実際のところ私はまだ....
「女侠伝」より 著者:岡本綺堂
空はいよいよ陰って来た。さして強くも降らないが、雨はしとしとと降りしきっている。
漢詩人ならば秋雨|蕭々とか何とか歌うべきところであろうが、我れわれ俗物は寒い方が....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
。その頃はもう黄表紙時代と変って同じ戯作の筆を執っていても自作に漢文の序文を書き
漢詩の像讃をした見識であったから、昔を忘れたのは余り褒められないが幇間芸人に伍す....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
かなくてはならないようでございます。若い時は市村水香先生に漢学を、長尾雨山先生に
漢詩の講義など聴いて勉強いたしました。時代時代の衣裳の研究に、染色祭の時などいろ....
「二階から」より 著者:岡本綺堂
て聴いた者は誰でも驚かされる、しかも滅多にその形を視た者はないとのことであった。
漢詩では蛙の鳴くことを蛙鳴といい蛙吠というが、吠の字は必ずしも平仄の都合ばかりで....
「鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
第一回は美妙の裸蝴蝶で大分前受けがしたが、第二回の『於母影』は珠玉を満盛した和歌
漢詩新体韻文の聚宝盆で、口先きの変った、丁度|果実の盛籠を見るような色彩美と清新....
「四十年前」より 著者:内田魯庵
ろうが、ジスレリーを私淑するには学堂の文藻は余りに貧しかった。尤も日本の政治家に
漢詩以外の文学の造詣あるものは殆んどなかったが、その頃政治家が頻りと小説を作る流....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
意に、心からの御礼を申しあげたい。 昭和二十二年九月一日 風巻景次郎 一 うた、
漢詩と和歌、詩と歌、和歌と短歌 二 中世、和歌は中世文学の主軸、物語は文学でない....
「書を愛して書を持たず」より 著者:小川未明
持つ生命のはかなさを考えるだけで、何一つ、所有欲は起らないのであります。 たゞ
漢詩は、和本の木版摺で読まないと、どういうものか、あの神韻|漂渺たる感が浮んでまいりません。....
「魯迅さん」より 著者:内山完造
、大よそわかったらしい。川柳全集を買ってから、こういうことをいっていた。日本人は
漢詩を作らんがいいね、それはわたしに川柳を作れ、俳句を作れといわれても駄目なのと....