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潁
「潁〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
潁の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
用意が過ぎて、下気出る時の様子までも載せあった。昔は帝堯が己に譲位すべしと聞いて
潁川《えいせん》に耳を洗うた変物あり、近くは屁を聞いて海に入り、屁を聞かせじと砂....
「わが妻の記」より 著者:伊丹万作
とかく子供をいじめすぎる。もつともこれはどこの母親も同じらしい。去年の春、子供が
潁才教育の試験を受けたときなどは心痛のあまり病人のようになつてしまつたのには驚い....
「三国志」より 著者:吉川英治
入って、貴下に頼みたいというのは、賊の総大将張角の弟で張宝・張梁のふたりは目下、
潁川(河南省・許昌)のほうで暴威をふるっている。 その方面へは、やはり洛陽の朝....
「三国志」より 著者:吉川英治
いわぬことじゃない」と、ぶつぶついった。 「彼奴が黄巾賊の討伐に南下していた頃、
潁川の陣営で、おれが董卓を殺そうとしたのに、兄貴たちが止めたものだから、今日こん....
「三国志」より 著者:吉川英治
ている。いまの彼は曹操の片腕ともいうべき存在であった。 その荀※の人物だった。
潁川の産れで家柄はよく、後漢の名家の一つで、傑士荀淑の孫にあたっている。 名家....
「三国志」より 著者:吉川英治
、如何なる人か」 「――司馬徽、字は徳操。また道号を水鏡先生と申されます。生れは
潁川ですから黄巾の乱なども、よく見聞しておいでになります」 「平常、交わる友には....
「三国志」より 著者:吉川英治
加えて、さながら「浮かべる長城」のごとく呉へ下った。 水路は長江によらず、蔡・
潁から湖北の淮水へ出て、寿春、広陵にいたり、ここに揚子江をさしはさんで呉の水軍と....
「三国志」より 著者:吉川英治
金鉞一|対を賜わった。 魏の大陣容はととのった。 辛毘、あざなは佐治、これは
潁州陽※の生れ、大才の聞え夙にたかく、いまや魏主曹叡の軍師として、つねに帝座まぢ....