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「濃尾〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

濃尾の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
疑惑」より 著者:芥川竜之介
ちょうど明治二十四年の事でございます。御承知の通り二十四年と申しますと、あの濃尾《のうび》の大地震《おおじしん》がございました年で、あれ以来この大垣《おおが....
趣味の遺伝」より 著者:夏目漱石
《しんだい》を潰《つぶ》した旦那は板橋の一つ半でも蒼《あお》くなるかも知れない。濃尾《のうび》の震災に瓦《かわら》の中から掘り出された生《い》き仏《ぼとけ》はド....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
。それだけ土地の人たちが歌舞伎そのものに寄せている興味も深かった。当時の南信から濃尾地方へかけて、演劇の最も発達した中心地は、近くは飯田、遠くは名古屋であって、....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
のおまんも半蔵の話を聞きに来る。この旅には名古屋まで友人の香蔵と同行したこと、美濃尾張方面の知己にもあうことができて得るところの多かったこと、そんな話の出ている....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
年福島に立つ毛付け(馬市)のために用意する製薬の心づかいは言うまでもなく、西は美濃尾張から北は越後辺まで行商に出て、数十里の路を往復することもいとわずに、植松の....
怪異考」より 著者:寺田寅彦
である。 二 次に問題にしたいと思う怪異は「頽馬」「提馬風」また濃尾地方で「ギバ」と称するもので、これは馬を襲ってそれを斃死させる魔物だそうであ....
日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
があった。この両国の地震は美濃がひどく、多く人家を壊ったが、これは明治二十七年の濃尾の地震を思い合わせるものがある。天平宝字六年五月になって、また美濃をはじめ、....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
中は我々の故郷だ、佐々成政《さっさなりまさ》のさらさら越えではないが、これから美濃尾張の方面へ出るのは平坦な道だが、越中へ入るのは非常なる難路だ、それをひとつ我....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
つものそぞろ心がさせる業なのです。 二人の風流人をやり過しておいて、寝物語を美濃尾張路へと逆戻りをする人の当りをつけた目的地といっては、別に無いと見るのが本当....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
異国人が押寄せて来た…… 時代が少し怯《おび》え過ぎているとは米友は知らない。濃尾地方は地震がありがちの地だから、地震に関聯してそれ異国人、朝鮮人と、魂を浮動....
颱風雑俎」より 著者:寺田寅彦
・ジョイントになっているのを見たときにも胆を冷やしたことであった。しかし日本では濃尾震災の刺戟によって設立された震災予防調査会における諸学者の熱心な研究によって....
一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
木県那須野ヶ原に、本郷定次郎氏夫妻の経営する孤児院があった。これは明治二十四年の濃尾大震災に孤児となった子供を収容するために、同氏が全財産を投じ一身をなげうって....
私本太平記」より 著者:吉川英治
南下の予定である。――この両翼を心にえがきながら、義貞は東海の征途にあった。――濃尾のあいだでは一矢も錦旗に抗ってくるものはなく、十一月の寒烈はかぶとの眉びさし....
随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
ルによれば、これでらくに夕方には京都へ着けるはずだった。ところが東海道は、わけて濃尾平野の街道ときては、いまやここも団地とダンプカーと新工場建設などの花ざかりで....