瀬田[語句情報] »
瀬田
「瀬田〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
瀬田の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
である。うちにあるのを少し分けてあげると約束した。 七月十六日 ◯森村義行君を
瀬田へ訪問。気の毒になる。 ◯東部三十三部隊。 七月二十一日 ◯最近のB29は....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
、兵を収めて信州に入り、病を養ったが遂に立たず老将山県|昌景を呼んで、「明日旗を
瀬田に立てよ」と云いながら瞑目した。 信玄死後|暫く喪を秘したが、いくら戦国時....
「真田幸村」より 著者:菊池寛
ヶ原で敵を迎えるのだ。しかし、それは東軍と決戦するのではなく、かるくあしらって、
瀬田へ引き取るのだ。そこでも、四五日を支えることが出来るだろう。かくすれば真田安....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
ら湧いて出た様な膳所の城を掠め、川となるべく流れ出した湖の水と共に鉄橋をくゞり、
瀬田の長橋を潜り、石山の埠頭に着いた。
手荷物を水畔の宿に預けて、石山の石に靴....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
損う傾がある。 太閤が氏郷を忌んで、石田三成と直江兼続の言を用い、利休の弟子の
瀬田|掃部《かもん》正忠に命じて毒茶を飲ませたなどと云うのは、実に忌々《いまいま....
「草藪」より 著者:鷹野つぎ
面積は、どのくらいあると思う」と、母親の附添で仕合せな、せいたか坊やの通称のある
瀬田青年が口をきると、 「まず五千坪だね」と、口を尖らせるので蛸さんと綽名のある....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
松も、はっきりと眼の前に浮び上って来ている。 三井、阪本、大津、膳所《ぜぜ》、
瀬田の唐橋《からはし》と石山寺が、盆景の細工のように鮮かに点綴《てんてい》されて....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
。
昨日は舟を一ぱい買切って、げいこ、まいこ、たいこ末社を引具して、八景巡り、
瀬田石山の遊覧は終りましたが、今日は引きつづき、舟をこちらへめぐらして、この一つ....
「田原藤太」より 著者:楠山正雄
一 むかし近江の国に田原藤太という武士が住んでいました。ある日|藤太が
瀬田の唐橋を渡って行きますと、橋の上に長さ二十|丈もあろうと思われる大蛇がとぐろ....
「東上記」より 著者:寺田寅彦
″\偲ばる。草津の姥が餅も昔のなじみなれば求めんと思ううち汽車出でたれば果さず。
瀬田の長橋渡る人稀に、蘆荻いたずらに風に戦ぐを見る。江心白帆の一つ二つ。浅き汀に....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
一望の下に指呼することのできる大津から比良へかけての波打際と、太湖の風景、西は、
瀬田から、伏見、顧みると展開している京都の町々に、驚嘆したが、すぐ袖を掠《かす》....
「白花の朝顔」より 著者:泉鏡花
色白にして眉の優い、役者のある女形に誘われて、京へ飛んだ。初のぼりだのに、宇治も
瀬田も聞いたばかり。三十三間堂、金閣寺、両本願寺の屋根も見ず知らず、五条、三条も....
「澪標」より 著者:外村繁
っと新聞紙にくるみ、湖水に投げ捨てる。そうして私は停車場に駆けつけた。 汽車が
瀬田川の鉄橋を渡る時、私達の間で「グリーンランド」と呼びならされている、石鹿公園....
「美食多産期の腹構え」より 著者:北大路魯山人
される。中形のふぐを食うのも口福の大なるもの。京のたけのこ、冬眠のスッポン、江州
瀬田の寒もろこの上々にもまさる美味さである。ただし、南日本海で獲れるぶりはそうは....
「俳句の作りよう」より 著者:高浜虚子
日降り続こうとも、どれだけ増したということは、そう的確に目に見えるものではない。
瀬田川に落ちる水の嵩が高くなったとか、岸辺の水がいくらばかり多く草を浸すようにな....