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焉
「焉〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
焉の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「文章」より 著者:芥川竜之介
藤田大佐と一しょになった。すると大佐は彼の作った弔辞の出来栄えを賞讃した上、「急
焉《きゅうえん》玉砕《ぎょくさい》す」と云う言葉はいかにも本多少佐の死にふさわし....
「婦系図」より 著者:泉鏡花
の方が勘当だ、そんな先生でないのだから、と一言にして刎ねられた、柳橋の策|不被用
焉。 また考えて見れば、道学者の説を待たずとも、河野家に不都合はない。英吉とて....
「紅黄録」より 著者:伊藤左千夫
ろこばしき言をいったものの、しおしおとした父の姿にはもはや死の影を宿し、人生の終
焉老いの悲惨ということをつつみ得なかった。そうと心づいた予は実に父の生前石塔をつ....
「聖書の読方」より 著者:内村鑑三
り給いしが故に、彼の口より斯かる言辞が流れ出たのである、是れ「我れ未だ生を知らず
焉んぞ死を知らん」と言う人の言ではない、能く死と死後の事とを知り給いし神の子の言....
「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
れ、総ての日本人は欧米人の被傭者、借地人、借家人、小作人、下男、下女となって惴々
焉憔々乎として哀みを乞うようになると予言したものもあった。又雑婚が盛んになって総....
「薄紅梅」より 著者:泉鏡花
次いで、四日と経たないうちに、小川写真館の貸本屋と向合った店頭に、三人の影像が掲
焉として、金縁の額になって顕われたのであるから。 ――青雲社、三大画伯、御写真....
「明治十年前後」より 著者:淡島寒月
読本その他|寛政、天明の通人たちの作ったもの、一九、京伝、三馬、馬琴、種彦、烏亭
焉馬などの本が沢山にあった。特に京伝の『骨董集』は、立派な考証学で、決して孫引き....
「島木赤彦氏」より 著者:芥川竜之介
明君から島木さんの訃を報じて貰った。それから又「改造」に載った斎藤さんの「赤彦終
焉記」を読んだ。斎藤さんは島木さんの末期を大往生だったと言っている。しかし当時も....
「映画と音楽」より 著者:伊丹万作
うそれだけで選曲は五十点である。画面は全速力で自動車が走つているのに音楽は我不関
焉とアンダンテか何かを歌われたんではきのどくに見物の頭は分裂してしまうほかはない....
「ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
形式においてはプレスビテリアンに似ている。しかしこの宗の信者は他の教会と全く不関
焉で、他宗の信者を改宗させるために伝道するというようなこともしない。それゆえ余り....
「茶の湯の手帳」より 著者:伊藤左千夫
、躁狂卑俗蕩々として風を為せる、徒に華族と称し大臣と称す、彼等の趣味程度を見よ、
焉ぞ華族たり大臣たる品位あらむだ。 従令文学などの嗜みなしとするも、茶の湯の如き....
「妖怪報告」より 著者:井上円了
車に乗じ、ただちに旅亭を辞し、時刻を移さずして帰省し、父の病を訪わんとすれば、溘
焉としてすでに逝き、また浮き世の人にあらず。もってひとたびは錯愕、もってひとたび....
「斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
死の瞬間までも世間を茶にする用意を失わなかったが、一人の友人の見舞うものもない終
焉は極めて淋しかった。それほど病気が重くなってるとは知らなかったので、最一度尋ね....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
た少女のように浮き浮きと噪いでいた。 露都行の抱負・入露後の消息、発病・帰朝・終
焉・葬儀 こう決定してからは一日も早く文学と終始した不愉快な日本の生活から遁れ....
「四十年前」より 著者:内田魯庵
大勢で如何ともする事が出来ないのを、官僚も民間も切支丹破天連の如く呪咀して、惴々
焉としてその侵入を防遏しようとしておる。当年の若い伊井公侯なら恐らくこれを危険視....