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「焼亡〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

焼亡の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
時間にすれば僅かに六時間くらいのことであったが、何分にも火の足がはやかったので、焼亡の町数は百二十六ヵ町という大火になってしまって、半七が三田へ駈けつけた頃には....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
緒つきの神輿が江戸の昔からたくさんに保存されていたのであるが、先年の震災で大かた焼亡したことと察せられる。 そういうわけで、明治時代の中ごろから東京には祭礼ら....
十二支考」より 著者:南方熊楠
《かえ》したとあり。『続古事談』四に「祇園社の宝殿の中には竜穴ありといふ、延久の焼亡の時梨本の座主《ざす》その深さを量らむとせしに五十丈に及んでなほ底なしとぞ」....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
いもの、その危険は、その感化の及ぶところのすべてを、窒死せしむると共に、自分をも焼亡する。 「女殺し」と言ったのは、ただなんとなく、濃烈なる甘い悩みの圧迫に堪え....
東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
の焼け跡に普請《ふしん》をして新宅を構うる者も続々あった。土御門内裏のごときも、焼亡の後久しからずして再建になった。将軍の柳営とても同断である。これが決して驚く....
源氏物語」より 著者:紫式部
、現世の夢は皆捨てておしまいになったのである。 そのうちに八の宮のお邸は火事で焼亡してしまった。この災難のために京の中でほかにお住みになるほどの所も、適当な邸....
我が人生観」より 著者:坂口安吾
ているから、日本の美学者だの歴史家などというものは、口に文化の美名を説き、金閣寺焼亡、政府の怠慢、妙なことを口走るが、私はどう考えても、政府の怠慢よりも、学者の....
雪の宿り」より 著者:神西清
ましたが、民の迷惑も一方ならず、一条大宮裏向いの酒屋、土倉、小家、民屋はあまさず焼亡いたし、また村雲の橋の北と西とが悉皆焼け滅んだとのことでございます。 さり....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
物も残さず焼き払われてしまったが、それはここに僧兵が籠っていたためであった。この焼亡がなければ恐らく相当の珍しい史料があったと思う。千光寺はヒダの社寺でただ一ツ....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
急病で死んだために、よんどころなく半途で閉場して更に次興行の相談中に、劇場もまた焼亡してしまったのは、劇界に取って重ねがさねの災厄といわなければならなかった。家....
私本太平記」より 著者:吉川英治
きょう出て来たか」 「はい。先年、お旗上げの砦として、ご籠城のみぎり、賊軍のため焼亡した笠置寺へ、さきごろ造営再建のありがたい勅が降されましたので。……それの木....
私本太平記」より 著者:吉川英治
たちまちに焼けうせしこそ 浅ましけれ と、古典の筆者も古来の文化財が芥のよう焼亡されてゆくさまを嘆いている。 いやそのような暴状はここだけでなく、石山寺の....
私本太平記」より 著者:吉川英治
の多くは放火であり、なかでも顕著なのは、三月十四日の夜半、尊氏の御池殿の全館が、焼亡したことである。まったくの怪し火で、出火の原因も不明だった。 それいぜんに....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
家文化の特色もそこにあったのではあるまいか。だからこそ、一門が都の落去も、福原の焼亡も、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の末路も、あわれとも、優しいとも、人間宿業のかなしさ....