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「焼打ち〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

焼打ちの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
予言しています。末法に入ると、叡山の坊さんは、ねじり鉢巻で山を降りて来て三井寺を焼打ちにし、遂には山王様のお神輿をかついで都に乱入するまでになりました。説教すべ....
詩の原理」より 著者:萩原朔太郎
ッパ》の方がずっと詩的である。故《ゆえ》に伊太利ヴェニスの芸術家等は、ゴンドラを焼打ちして水市を破壊し、自動車と飛行機の爆音で充填《じゅうてん》された、幾何学的....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ようにこちらへ向けて飛び込ませないとは限らない。 この分では、今夜こそ彼等は、焼打ちをはじめるかも知れない、こちらを焼打ちするくらいだから、船の方もあのままで....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ら幾らも経たない後のことであります。それから彼等の巣窟たるこの四国町の薩摩屋敷が焼打ちになって、江戸を追われたことも、いくらもたたない後のことであります。 ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
》合《がっ》したかどうか知れないが、ともかく、相州荻野山中の大久保長門守の陣屋が焼打ちされて、かなり多量の武器と金銭を奪われたのは、それから十日ほど後のことであ....
甲州鎮撫隊」より 著者:国枝史郎
だからなア。これじゃア脱走武士が徴発に来ようと、薩長の奴等が江戸へ征込んで来て、焼打ちにかけようと安全だ。……と思っている植甚の鼻をあかせ、俺アこれ迄にちょいち....
学生と先哲」より 著者:倉田百三
の沙汰もなかった。それのみか、これが機縁となって、翌月二十八日夜に松葉ヶ谷草庵が焼打ちされるという法難となって報いられた。 「国主の御用ひなき法師なれば、あやま....
安吾巷談」より 著者:坂口安吾
買っているに相違ないから、レースが終るや、ナダレを打って事務所へ殺到、神宮水泳場焼打ち事件となる。 日米水上の観衆は、そんな不穏な精神はもっていない。コンディ....
大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
そうしてじっと眼を据えて、義哉の顔を見守った。 17 主君も主君将軍家の城を、焼打ちにしようというのであるから、これが普通の幕臣なら、カッと逆上るに違いない。....
前記天満焼」より 著者:国枝史郎
集まり、百人、百五十人、二百人となった。 「世の建て直しだ!」と誰か叫んだ。 「焼打ち焼打ち焼打ちにかけろ!」 ボーッと一所から火が上った。 「浮世を....
一世お鯉」より 著者:長谷川時雨
う》となった。寵妾《ちょうしょう》お鯉の家に大臣は隠れているといって、麻布の妾宅焼打ちを、宣伝するものがあった。日比谷《ひびや》には騒擾《そうじょう》が起り、電....
双面獣」より 著者:牧逸馬
合、待ったは利かない。催涙ピストル位い持出したところで、瞬く間に警察でも監獄でも焼打ちして、眼ざす人間を私刑《リンチ》せずには止まないだろう。そんなことになって....
法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
して引き上げんとする者が無いではない。早く小野玄妙博士がこれを皇極天皇二年斑鳩宮焼打ちの際の事となし、近く会津八一博士がこれを推古天皇十五年この寺創建直後の事と....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
いる。かくてわが天台宗の盛んな頃には、叡山に三千坊あったと言われ、永保元年三井寺焼打ちの際には、災いに罹った僧坊の数だけでも四百二十一ヶ所の多きに及んだとも言わ....
私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
十八年、日露戦争も終りを告げたころである。世間はさわがしく、東京では日比谷原頭の焼打ち事件、神戸では伊藤公の銅像を倒し、その首になわをかけてひきずり回す騒ぎもあ....