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熊本城
「熊本城〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
熊本城の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「阿部一族」より 著者:森鴎外
小西家が滅びてから、加藤清正に千石で召し出されていたが、主君と物争いをして白昼に
熊本城下を立ち退《の》いた。加藤家の討手に備えるために、鉄砲に玉をこめ、火縄に火....
「田原坂合戦」より 著者:菊池寛
摩隼人の驍名に戦いていたのであるから、朝野の人心|恟々たるものであったであろう。
熊本城に於ては、司令長官谷干城少将以下兵二千、人夫千七百、決死して城を守る事にな....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
あると唱えて、ついに挙兵東上の非常手段に訴えたために、谷干城のごときは決死の敵を
熊本城にくいとめ、身をもって先輩西郷氏の軍に当たった。この人にして見たら、敵将ら....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
近所の百姓に頼んで時々食物を与えてもらうことにして本意ない別を告げた。三月程して
熊本城の包囲が解け、薩軍は山深く退いたので、欣々と帰って見ると、オブチは彼の家に....
「死までを語る」より 著者:直木三十五
ある。 雪はちらちら降るその中を 熊本連隊十三隊 第一大隊日を定め 陸軍繰出す
熊本城を 数万の弾丸飛越えて 吾兵各所に進撃す と、いう唄を唄いながら、御下....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
石垣の下の濠《ほり》を見下ろす。城を下って城を見上げて、説明を聞くと、加藤清正も
熊本城を築く前に来って、この城を見学して帰ったという。天守閣の棟が西に傾いている....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
ら帰県して見るともっぱらこの西南騒動の噂ばかりで、人心が恟々としていた。そのうち
熊本城で賊を喰い止めたが、その与党が我県と海を隔ている大分県にも蜂起して、今にも....
「次郎物語」より 著者:下村湖人
時、そんなことを一人で考えていたのである。 次郎は、四月以来、恭一と大沢から、
熊本城や、阿蘇山や、水前寺などの絵はがきを、何枚も受取っていた。書いてあったこと....
「空家」より 著者:宮崎湖処子
き来たる狂瀾《きょうらん》のごとく九州の極より極に打てり、物騒なる風説、一たびは
熊本城落ちんとするの噂《うわさ》となり、二たびは到るところの不平士族賊軍に呼応し....
「随筆 寄席風俗」より 著者:正岡容
正蔚山に籠る」と書いてくれと言う。よしよしとそう書いてやったら、その次へ「谷干城
熊本城へ籠る」と書いてくれと言う。また書いてやったら、今度はそのあとへ「本間弥太....
「白い道」より 著者:徳永直
右には赤煉瓦の建物がいくつとなく胸を反らしている。―― いつものように三吉は、
熊本城の石垣に沿うてながい坂道をおりてきて、鉄の通用門がみえだすあたりから足どり....
「春心」より 著者:田中貢太郎
ても判らないだろうが、私はこう見えても、安井息軒の門にいたのだ、西郷さんの戦に、
熊本城に立て籠って、薩摩の大軍をくいとめた谷干城さんも、安井の門にいたのだ、私は....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
それは細川家が豊前小倉の領地から熊本へ移封された時のこと――その入城式に、忠利は
熊本城の大手の正門で駕籠を下り、衣冠着用のまま、新莚に坐って、今日から城主として....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
。 |離。 とその急逝を嘆じた。 正保元年、光尚は忠利のために護国山妙解寺を
熊本城外に草創し、沢庵を聘して開堂供養を営もうとしたが、沢庵はこれより先、寛永十....