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爰
「爰〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
爰の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「婦系図」より 著者:泉鏡花
も出来た験はない。蓋しせざるにあらず能わざるなりでも何でも、道徳は堅固で通る。於
爰乎、品行方正、御媒妁人でも食って行かれる…… 二十四 道学先生....
「真田幸村」より 著者:菊池寛
この猛撃にさすがの幸村の兵も弾丸に傷き、死する者も相当あった。 然し、幸村は「
爰を辛抱せよ。片足も引かば全く滅ぶべし」と、先鋒に馳来って下知した。一同、その辺....
「春昼」より 著者:泉鏡花
縁を離れさえなさらなかったら、海に溺れるようなことも起らなんだでございましょう。
爰に希代な事は―― 堂の裏山の方で、頻りに、その、笛太鼓、囃子が聞えたと申す事....
「灰燼十万巻」より 著者:内田魯庵
した半分真黒けな顔をした洋物部の主任に訊くと、 『全滅です、』と淋しげに笑った。
爰を通って新築の裏口から賄い場へ抜けると、其先きは焼け跡であった。奥蔵の※間を焼....
「駆逐されんとする文人」より 著者:内田魯庵
様が一朝にして下掃除人の地借或は店借となって了う。経済上の変革が齎らす位置転換も
爰に到って頗る甚だしい。尤も狡猾な都会人に欺かれて早くから地所を手放して了ったの....
「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
かサッパリした思い切りのいゝ精進潔斎的、忠君愛国的デカダンである。国民的の長所は
爰であろうが短所も亦
爰である。最っと油濃く執拗く腸の底までアルコールに爛らして腹....
「霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
世に於ける、殆んど唯一の慰安、殆んど唯一の希望だったのでございます。『何としても
爰から離れたくない……』私は一|図にそう思い込んで居りました。私は別に婦道が何う....
「霊訓」より 著者:浅野和三郎
ど認められていないのは、甚だ遺憾である。が、原本はなかなか大部のものであるから、
爰には単に要所|丈を紹介するに止める。若しも読者にして、ゆっくり味読さるるならば....
「「吶喊」原序」より 著者:井上紅梅
うと、凡て一人の主張は、賛成を得れば前進を促し、反対を得れば奮闘を促す、ところが
爰に生人の中に叫んで生人の反響なく、賛成もなければ反対もないと極ってみれば、身を....
「不吉の音と学士会院の鐘」より 著者:岩村透
か不吉なことがあると、必らずこの音を聞いたと、この自伝の中に書いてあるが、これが
爰に所謂『不吉な音』の大略であるのだ。 それから他の一つの『学士会院の鐘』と題....
「二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
飛出して息遣いも苦しそうに※々啼きながら頻りと身体をこすりつけて変な容子をする。
爰で産落されては大変と、強に行李へ入れて押え付けつつ静かに背中から腰を撫ってやる....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
したが、若い美くしい寡婦は賢にして能く婦道を守って淡島屋の暖簾を傷つけなかった。
爰に川越在の小ヶ谷村に内田という豪農があった。(今でもその家は歴とした豪農である....
「斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
は絶えてしまった。緑雨の手紙は大抵散逸したが、不思議にこの一本だけが残ってるから
爰に掲げて緑雨を偲ぶたねとしよう。 言文一致ニカギル、コウ思附イタ上ハ、基礎ヤ標....
「二葉亭四迷」より 著者:内田魯庵
れない」という。近代思想を十分理解しながら近代人になり切れない二葉亭の葛藤は必ず
爰にも在ったろう。 二葉亭に限らず、総て我々年輩のものは誰でも児供の時から吹込....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
頗る不十分であった。即ち煩冗を去り補修を施こし、かつ更に若干の遺漏を書足して再び
爰に収録するは二葉亭|四迷の如何なる人であるかを世に紹介するためであって、肖像画....