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牀几
「牀几〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
牀几の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
忠直卿は岡山口へ本陣を進めていた家康の膝下《しっか》に急いだのである。 家康は
牀几《しょうぎ》に倚って諸大名の祝儀を受けていたが、忠直卿が着到すると、わざわざ....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
城濠|蓮池のほとりで、馬から降り、城兵が鉄砲で狙い打つにも拘らず、悠々閑々として
牀几に腰かけ、お茶を三杯まで飲んだ。 謙信も亦、信玄に劣らぬ文武兼備の大将で、....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
って昆布勝栗を添えて出すと悠々と食し終った。腹ごしらえも充分である。食事がすむと
牀几に腰をかけて小鼓を取り寄せ、東向きになって謡曲『敦盛』をうたい出した。この『....
「山崎合戦」より 著者:菊池寛
と戦術家は批評している。 戦争開始前、高山右近の家来の甘利八郎太夫と云う男が、
牀几に依って戦機の熟するのを待っている右近の前に出て、 「私は、只今どちらにして....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
、纐纈城内では、仮面の城主、悪病の持ち主が、いつもの部屋でいつものように、一人|
牀几に腰掛けていた。 部屋では香炉が燃えていた。露台の扉も開いていた。これはい....
「風流仏」より 著者:幸田露伴
、果は片足進みて片足戻る程のおかしさ、自分ながら訳も分らず、名物|栗の強飯売家の
牀几に腰|打掛てまず/\と案じ始めけるが、箒木は山の中にも胸の中にも、有無分明に....
「八ヶ嶽の魔神」より 著者:国枝史郎
…これが昔の俺の城か。あの華美だった部屋だというのか。熊の毛皮を打ち掛けた黒檀の
牀几はどこへ行った。夜昼絶えず燃えていた銀の香炉もないではないか。……や、ここに....
「神秘昆虫館」より 著者:国枝史郎
だ物見だ、物見に行け!」 指揮しているのは、隅田のご前で、昆虫館の建物の前へ、
牀几《しょうぎ》を出して腰かけている。 人々が八方へ駈け巡る。伝令が四方へ飛ん....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
。氷やといっても今のように小体《こてい》な店ではない。なかなか広い店で、巾の広い
牀几《しょうぎ》が沢山並んでいた。涼しげな、大きな滝を忍ばせる硝子《ガラス》の簾....
「十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
な。……ああでもないと四畳半! その四畳半趣味に飽きると、こうでもないと水茶屋の
牀几へ、腰を下ろすようなことになる) こんなことを思いながら、貝十郎は見送った....
「南蛮秘話森右近丸」より 著者:国枝史郎
室の広さ十五畳敷ぐらい、そこに置かれてある器物といえば、測量機、鑿孔機、机、卓、
牀几というような類である。窓から投げ込まれる春の陽に、それらのものが艶々と光り、....
「名人地獄」より 著者:国枝史郎
た、それは山のような巨船であった。船首に篝が燃えていた。その横手に一人の武士が、
牀几に端然と腰かけていた。他ならぬ観世銀之丞であった。その傍らにお艶がいた。と、....
「剣侠」より 著者:国枝史郎
引っ返して行きましたねえ」 「うん」と云ったのは猪之松で、先刻すでに駕籠から出、
牀几を据えさせてそれへ腰かけ、火事を見ていた馬大尽、井上嘉門の側に立って、これも....
「娘煙術師」より 著者:国枝史郎
去なられたはずだ!」
つぶやきながらも老売卜者は、懐しさ類うべきものもない――
牀几から、腰を上げると立ち上がって、両手を見台の上へつくと、毛をむし筋だらけの首....
「荘子」より 著者:岡本かの子
ためておもてなしを致しましょう」 と云い乍ら厨へ去った田氏に代って荘子は空いた
牀几に腰を下した。 荘子は先ず先頃洛邑での遜のあついもてなしを謝したのち、次に....