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「片岡〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

片岡の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
或日の大石内蔵助」より 著者:芥川竜之介
一人が借してくれた三国誌の中の一冊であろう。 九人一つ座敷にいる中《うち》で、片岡源五右衛門《かたおかげんごえもん》は、今し方|厠《かわや》へ立った。早水藤左....
あやつり裁判」より 著者:大阪圭吉
中から小さな紙片が、なんでも十二、三枚出て来ましたよ……それでその紙片には「無罪片岡八郎」だとか、「無罪 小田清一」だとか、「有罪 峰野義明」だとか、まるでなん....
七宝の柱」より 著者:泉鏡花
に活きていらるる。 下向の時、あらためて、見霽の四阿に立った。 伊勢、亀井、片岡、鷲尾、四天王の松は、畑中、畝の四処に、雲を鎧い、※糸の風を浴びつつ、或もの....
陽炎座」より 著者:泉鏡花
……大谷おそば 一………………………………市川玉子焼 一………………………………片岡 椀盛 一………………………………嵐 お萩 一………………………………坂東....
夢殿」より 著者:楠山正雄
国の難波のお宮へおいでになって、それから大和の京へお帰りになるので、黒馬に乗って片岡山という所までおいでになりますと、山の陰に一人物も食べないとみえて、見るかげ....
寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
らない。この作がこれほど有名になったのは、新富座の初演当時、河内山宗俊(団十郎)片岡直次郎(菊五郎)金子市之丞(左団次)大口屋の三千歳(岩井半四郎)という顔ぞろ....
私の活動写真傍観史」より 著者:伊丹万作
記甲州篇」、現代劇で「彼を繞る五人の女」、阪妻の「大義」、右太衛門の「紫頭巾」、片岡千恵蔵の「万華地獄」などである。そうしてそれらの写真によつて、はじめて大河内....
わが文学修業」より 著者:織田作之助
作家は、室生氏である。会う機会を得た作家は、会うた順に言うと、藤沢、武田、久米、片岡、滝井、里見の諸氏。最近井上友一郎氏に会い、その大阪訛をきいて、嬉しかった。....
役者の一生」より 著者:折口信夫
伊左衛門などで、こういう芝居では古い菊五郎というよりは、年齢では少し先輩であった片岡仁左衛門の影響を何か受けているのではないかと思う。 結局田之助や菊五郎の影響....
八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
んだ。六、七歳頃から『八犬伝』の挿絵を反覆して犬士の名ぐらいは義経・弁慶・亀井・片岡・伊勢・駿河と共に諳んじていた。富山の奥で五人の大の男を手玉に取った九歳の親....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
ない、七、八分ならば結構、五、六分ぐらいが普通であると思っていた。現に中村歌六は片岡|我童や市川権十郎と一座して、土間の観客たった一人という芝居を演じた例がある....
法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
十八点に達していたが、その中天智天皇九年以前の物は、僅かに釈迦・薬師の両本尊と、片岡御祖命なる人の寄附に係る金銅幡との、ただ三点あるのみであった。その後和銅初年....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
偽織大和錦」を初演。仲蔵の馬子丑蔵が田舎訛りのベエベエ詞のゆすり場、大好評。 ○片岡我童、片岡我当の兄弟、大阪より上京して、中村座の三月興行より出勤。 ○五月、....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
に少ない。 霞しく春のしほぢを見わたせば碧を分くる沖つ白波 春雨の降りそめしより片岡のすそ野のはらぞ浅緑なる かげきよき花のかがみと見ゆるかなのどかに澄める白川....
古事記」より 著者:太安万侶
き》の臣・五百原の君・角鹿の濟《わたり》の直の祖先です。天皇は御年百六歳、御陵は片岡の馬坂《うまさか》の上にあります。 孝元天皇 ――タケシウチの宿禰の諸子....