片瀬[語句情報] » 片瀬

「片瀬〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

片瀬の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
自叙伝」より 著者:大杉栄
岸通をぶらぶらと歩いた。その辺は遠く海中にまで岩が突き出て、その向うには鎌倉から片瀬までの海岸や江の島などを控えて、葉山から三崎へ行く街道の中でも一番景色のいい....
獄中消息」より 著者:大杉栄
に、蒼白い弱り込んだ顔色をしているのを見たりすると、いろいろ気にかかって堪らぬ。片瀬行きのことはどうなったか。だんだん暑くもなることだから、もし都合がいいような....
或る男の手記」より 著者:豊島与志雄
らして、夜の一時二時頃まで召上ることなんか、珍らしくもありません。奥様は御病気で片瀬に行っていらっしゃいますし、女中さんは二人共まるで山出しの田舎者なんですもの....
常識」より 著者:豊島与志雄
秋草を見い見い、恋人どうしのように……全く恋人どうしのように、言葉少い漫歩の後、片瀬から大船へぬける道に出る三辻の、あの家で、夜までゆっくりくつろいだ時、単なる....
恨みの蠑螺」より 著者:岡本綺堂
一 文政四年の四月は相州江の島弁財天の開帳で、島は勿論、藤沢から片瀬にかよう路々もおびただしい繁昌を見せていた。 その藤沢の宿の南側、ここから....
江木欣々女史」より 著者:長谷川時雨
はふと、ませ子さんに欣々さんの死ぬ前の様子がききたくなった。二、三日たって、相州片瀬《そうしゅうかたせ》の閑居に、ませ子さんの室《へや》にわたしは坐った。 ま....
あなたも私も」より 著者:久生十蘭
めりかわ》の近くから外海《そとうみ》へ出て行く早い潮の流れがある。二日もすれば、片瀬か江ノ島の沖へ浮きあがるはずだから、そっちを捜すほうが早道だとそんなことを言....
巷説享保図絵」より 著者:林不忘
せて笑った。 「で、いつたつのだ」 「京都のほうは、まだ先のことです。その前に、片瀬《かたせ》の龍口寺《りゅうこうじ》へお詣《まい》りして来ようと思っております....
美術学校時代」より 著者:高村光太郎
もなかった。 この彫刻の同級にいた人で今特に記憶しているのは水谷鉄也君といって片瀬の乃木大将の銅像を作った人、後藤良君も木彫で仲間であったが、その他の人はよく....
キャラコさん」より 著者:久生十蘭
えさん、陽気なピロちゃん、男の子の鮎子さんの四人。日本女学園のやんちゃな連中で、片瀬《かたせ》の西方《にしかた》にある鮎子さんの別荘を根城《ねじろ》にして、朝か....
随筆 寄席風俗」より 著者:正岡容
、また東京へと、いかばかり幾変転の流寓の来し方ではあったことよ。初めて吉井先生の片瀬のお住居を叩いてのことにしてからが、そも幾年月になることだろう。故あって永い....
現場の写真」より 著者:小酒井不木
捜査を始めたのである。 被害者鈴木泰助はことし五十歳で、細君は数年来肺を病んで片瀬に療養し、夫婦の間に子供はなく、ことし二十五歳になる手代の甚吉をいっしょに住....
誓之巻」より 著者:泉鏡花
ちるたって、私ゃ縁起が悪いもの。いいようがありません。それでなければ、治ってから片瀬の海浜にでも遊びにゆく時の景色なんぞ、月が出ていて、山が見えて、海が凪ぎて、....
食道楽」より 著者:村井弦斎
家《うち》こそ不潔《きたな》いけれども大磯第一の名物だ。僕はモー少し猶予があれば片瀬へ寄って竜《たつ》の口饅頭《くちまんじゅう》を買って鎌倉で力餅《ちからもち》....
人格の養成」より 著者:新渡戸稲造
うな意味でした。 乗得《のりえ》ては艪櫂《ろかい》もいらじ蜑小舟《あまをぶね》片瀬《かたせ》の浪《なみ》のあらむ限《かぎ》りは 船に乗ッてしまえば艪も櫂も....