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牢舎
「牢舎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
牢舎の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「業平文治漂流奇談」より 著者:三遊亭円朝
》を仰せ付けられ、翌年の二月二十六日に出牢致しましたが、別に科《とが》はないから
牢舎《ろうや》の表門で一百の重打《おもたゝ》きと云うので、莚《むしろ》を敷き、腹....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
ご紹介をしておきますが、同じ伝馬町のお牢屋といっても、これにはだいたい三とおりの
牢舎があって、すなわち第一は上がり座敷、別に揚がり座敷とも書きますが、読んで字の....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
た。 多感な光景が街道にひらけることもある。文政九年の十二月に、黒川村の百姓が
牢舎御免ということで、美濃境まで追放を命ぜられたことがある。二十二人の人数が宿籠....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
からば降参と決し、使をシャーに遣わした。その使の言語一向分らぬから、シャーこれを
牢舎し、一婦をその妻として同棲せしめると子が出来た、その子七歳になり、海陸両世界....
「ジーキル博士とハイド氏の怪事件」より 著者:佐々木直次郎
ロとシラスと祈りて神を賛美するを囚人ら聞きいたるに、俄かに大いなる地震おこりて、
牢舎の基ふるい動き、その戸たちどころに皆ひらけ、すべての囚人の縲絏《なわめ》とけ....
「わが血を追ふ人々」より 著者:坂口安吾
レスは大村に入牢中であつたから、次兵衛は長崎奉行竹中|采女の別当の中間に住込んで
牢舎に通ひ、グチエレスの指図を受けて伝道に奔走したが、彼の名が知れ渡りお尋者にな....
「二合五勺に関する愛国的考察」より 著者:坂口安吾
許すだんではなかった。何千という浦上部落の信徒が老幼男女一網打尽となり、多すぎて
牢舎の始末もつかぬから、いくつかの藩に分割して牢にこめられ、とり調べをうけ、棄教....
「安吾巷談」より 著者:坂口安吾
た彼らは、むしろ素直だと云っていゝだろう。 こういう素朴な人たちにくらべれば、
牢舎で今も国民儀礼をやっているという大官連は滑稽千万であるし、将校連がマルクス・....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
である。 幸平はこの七千八百五十円をわが物としなければ、ついに法の裁きをうけて
牢舎にこめられ、世間の相手にされなくなって暗い一生をいつも葬式のようにヒソヒソと....
「赤格子九郎右衛門」より 著者:国枝史郎
三人、槍ヲ擬シ誰何ス。二人ヲ斃シ、一人ヲ捉ヘ、威嚇シテ以テ東道トナス。巨塔ハ即チ
牢舎ニシテ、地下数丈階段ヲ下レバ、岩モテ畳メル密室アリ、王及ビ王妃ヲ幽閉セル処…....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
て以来なれば、足かけ三年に相なりまする」 「そちもたしか、主と共に罪を問われて、
牢舎と聞いていたが。……ま、ここでは話もならぬ。わしについて、まずまいれ。憲房の....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
、承久ノ乱には、後鳥羽院を隠岐へ、順徳上皇を佐渡ヶ島へ、ほか親王方をも、仮借なく
牢舎にした北条氏の先例もある。やろうとすれば、大塔ノ宮とて、また、みかどの後醍醐....
「エタに対する圧迫の沿革」より 著者:喜田貞吉
義は村役人添書にて紙面指出候。 一、養子取組之義は百姓に同断、(中略) 一、穢多
牢舎中病気療法之義旧例無之旨、町御奉行より申来候へども、牢中は同様の義に候へば候....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
ったと解せられる。「三国長吏由来記」と称する弾左衛門家の記録によると、空也上人が
牢舎の囚人二十一人を申し受けて、七乞食、八乞食、六道の者というものを仕分け、掟を....
「大岡越前」より 著者:吉川英治
、市十郎の方を見ながら、すごすご宵の辻を曲がって行った。 出来心の軽い罪。長い
牢舎でもあるまい。出て来たらどんなにも詫びて――と市十郎は、自責のつぐないを後日....