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「牽強付会〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

牽強付会の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
俳諧瑣談」より 著者:寺田寅彦
の類型であり、アメリカ映画のあるものは後者の仲間であると言ってもそうはなはだしい牽強付会ではあるまいと思われる。 八 連句の映画化ということについて....
俳句の精神」より 著者:寺田寅彦
心持ちを誘致するためには、短いほうが有効であるかと思われる。これはあるいは多少|牽強付会の説と見られるかもしれないがしかしとにかく一応こういう説も立て得られると....
現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
ス以来のヒューマニズムの床上に於ける一つの形態と見るものがあるなら、それは相当の牽強付会となりはしないか。単に現在の日本の所謂「ヒューマニズム」と現代唯物論との....
認識論とは何か」より 著者:戸坂潤
うか。詩人は優れた認識の所有者であるに相違なかろう。道徳的行為が認識だというのは牽強付会だと云うかも知れぬ。だが認識は実行と離れて理解されないということも、今日....
世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
と、思いつきと、あて推量と、そして更に、こじつけとにさえ基くことが出来る。しかも牽強付会される個々のタームは極めて実証的な引例や経験に基いているというわけだ。だ....
再び科学的精神について」より 著者:戸坂潤
であり、之に反して、日本はギリシアであるというような木村鷹太郎主義は後者である。牽強付会は、出鱈目が歴史的認識などをかりて学究的になったものに他ならないだろう。....
技術的精神とは何か」より 著者:戸坂潤
は文献学主義(学術の名の下に文献訓詁の成果をすぐ様思想の典拠とする一切の博学又は牽強付会の方法――アカデミック・フールに著しい)、第三は教学主義(文化を倫理主義....
哲学の現代的意義」より 著者:戸坂潤
限らず文学乃至芸術も亦、認識なのだ。 こういう主張は可なり乱暴にも見えるし、又牽強付会にも見えよう。あまり必至でないようにも見えよう。だが事態は、その用語の如....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
他日また仏教が行われるようになるであろうと、いわゆる正因正果の道理を用い過ごして牽強付会の説を考え出したのです。今いう通りカシミールの北部の菩薩国は今は回回教の....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
年の巴が、義仲の命日には、年ごとに近江の義仲寺へ詣でたという地方伝説は、無邪気な牽強付会というものである。 粟津の義仲寺は、すぐその隣に、俳人芭蕉が幻住庵を結....