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狄
「狄〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
狄の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「西郷隆盛」より 著者:芥川竜之介
で》に古い刀創《かたなきず》があるとか何とか云うのも一人に限った事ではない。君は
狄青《てきせい》が濃智高《のんちこう》の屍《しかばね》を検した話を知っていますか....
「俊寛」より 著者:芥川竜之介
いはまた一千年か、とにかくその好みの変る時には、この島の土人の女どころか、南蛮北
狄《なんばんほくてき》の女のように、凄《すさ》まじい顔がはやるかも知れぬ。」
「....
「茶の本」より 著者:岡倉覚三
シナ本国から起こった明朝は内紛のために悩まされ、次いで十八世紀、シナはふたたび北
狄満州人の支配するところとなった。風俗習慣は変じて昔日の面影もなくなった。粉茶は....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
えた。 黒船の帆影が伊豆の海を驚かしてから、世の中は漸次にさわがしくなった。夷
狄を征伐する軍用金を出せとか云って、富裕の町家を嚇してあるく一種の浪人組が近頃所....
「神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
の窓の中から、その罵声は聞こえるのである。「仏が何んだ、仏教が何んだ。要するに夷
狄の宗教じゃないか。日本には日本の宗教がある。神ながらの神道じゃ! 我輩の奉ずる....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
で再び生きなかった。(同上) 両面銭 南方では神鬼をたっとぶ習慣がある。
狄青が儂智高を征伐する時、大兵が桂林の南に出ると、路ばたに大きい廟があって、すこ....
「ああ玉杯に花うけて」より 著者:佐藤紅緑
和訳を左から右へ横に書いた。それを見て先生は烈火のごとくおこった。 「きみらは夷
狄のまねをするか、日本の文字が右から左へ書くことは昔からの国風である、日本人が米....
「初恋」より 著者:国木田独歩
れが何です』と叫んだ。 『お前は日本人か。』『ハイ日本人でなければ何です。』『夷
狄だ畜生だ、日本人ならよくきけ、君、君たらずといえども臣もって臣たらざるべからず....
「大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
同じ怪奇の扮装で、長刀佩いてヌタクリ出で、さて大見得を切った後、 「東夷南蛮|北
狄西戎西夷八荒天地|乾坤のその間にあるべき人の知らざらんや、三千余里も遠からぬ、....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
解するものまたあるいは曰く、武士はすなわち孔子のいわゆる北方の強者にして、元来夷
狄の長とするところなれば、当時文弱に流れ、優美を宗とせる京師の※紳より、これを賤....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
いって揚幕から花道にゆるぎ出た時、さらに花道の七三に坐って、例の“東夷西戎南蛮北
狄”の長台詞を朗々たる名調子で淀みなくつらねた時、わたしは満場の観客と共に、ただ....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
。 故成佐諫曰、匈奴無道、不。 成佐は基衡を匈奴といっている。いかに東奥の夷
狄とはいいながら、かなり馬鹿にしたものではないか。基衡の妻は安倍宗任の女で、毛越....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
日なく、地に二王なしとの信条の下に、諸外国はことごとくこれを東夷・西戎・南蛮・北
狄などと称し、天子はすなわち天命によりて、あまねく天下を統治すべきものとして、諸....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
本人と同一の待遇を与えることになりました。それを当時の記録には、「この年外が浜の
狄シャモとなる」とも、「外が浜の
狄をシャモに仕る」とも書いてあります。シャモとは....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
将に弊民を休めん。 これに対して勅して一年の復を賜い、不動穀六千二百石を三郡の
狄俘八百三人に給した。
狄俘とは夷俘というと同じく、蝦夷の生蕃の謂である。わが国で....