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狩野派
「狩野派〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
狩野派の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「奇怪な再会」より 著者:芥川竜之介
後《のち》、今度は床《とこ》に懸けた軸《じく》の前へ、丁寧に円い頭を下げた。軸は
狩野派《かのうは》が描《か》いたらしい、伏羲文王周公孔子《ふくぎぶんおうしゅうこ....
「茶の本」より 著者:岡倉覚三
ばこれら諸流は、形式派と写実派の二大流派に分かれる。池の坊を家元とする形式派は、
狩野派に相当する古典的理想主義をねらっていた。初期のこの派の宗匠の生花の記録があ....
「画学校時代」より 著者:上村松園
てもよいので、それ以後は大いに人物画に精進することが出来たのでした。 当時は、
狩野派や四条派といえば、花鳥山水動物の方が多く人物画はあまりありませんでした。 ....
「日本人の自然観」より 著者:寺田寅彦
の三角座標をもってあらゆる画家の位置を決定することができそうに思われる。たとえば
狩野派・土佐派・四条派をそれぞれこの三角の三つの頂点に近い所に配置して見ることも....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
時、茂太郎は持って来た行燈を片隅に置くと、そこは本堂の一部の細長い部屋で、壁には
狩野派《かのうは》の山水がいっぱいに描かれてある。隣室から夜具を運んで来た茂太郎....
「めでたき風景」より 著者:小出楢重
丸帯など見ると、全く何か、うるさい、不愉快な手数ばかりを感じてしまう事さえある。
狩野派末期の高貴なる細工ものよりも、師宣の版画に驚嘆すべき強さと美しさが隠されて....
「薄紅梅」より 著者:泉鏡花
何、無精たらしい雇婆さんの突掛けの膳で、安ものの中皿に、葱と菎蒻ばかりが、堆く、
狩野派末法の山水を見せると、傍に竹の皮の突張った、牛の並肉の朱く溢出た処は、未来....
「運命のままに」より 著者:豊島与志雄
て、鵞ペンでない只の美しい鳥の羽が四五本※っていた。床の間には造花の籠があって、
狩野派の筆になる小さい富士山の軸物がその砂地の壁に掛っていた。昔その片隅に一面の....
「日本文化私観」より 著者:坂口安吾
んだ通り、桂離宮も見たことがなく、雪舟も雪村も竹田も大雅堂も玉泉も鉄斎も知らず、
狩野派も運慶も知らない。けれども、僕自身の「日本文化私観」を語ってみようと思うの....
「北斎と幽霊」より 著者:国枝史郎
等の号あれども葛飾北斎最も現わる。彫刻を修めてついに成らず、ついで狩野融川につき
狩野派を学びて奇才を愛せられまさに大いに用いられんとしたれど、不遜をもって破門せ....
「回想録」より 著者:高村光太郎
き、西町に居た時に十歳前後で画を習わせ初めた。師匠は狩野寿信という人であったが、
狩野派のやり方のよいことは、稽古の時に決して悪い材料を使わせないということである....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
であります。 私と、結城正明氏とが一緒に行くことになりました(結城氏という人は
狩野派の画家でありました)。両人ともに往復十日間の暇を貰いまして、旅費百六十幾円....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
野|寿信という絵師のお宅へ稽古に上げました。この先生は探幽の流れを酌んで、正しい
狩野派の絵をよく描かれた人で、弟子にも厳格な親切な人でありました。娘は今度は自分....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
長じた。 因襲を知るものは勢い因襲に俘われる。日本人は画の理解があればあるほど
狩野派とか四条派とか南宗とか北宗とかの在来の各派の画風に規矩され、雪舟とか光琳と....
「今日になるまで」より 著者:上村松園
竹内栖鳳先生に師事しました。また十九の頃漢学も習い始めました。その時分の京都では
狩野派や四条派の花鳥山水が全盛で、人物画の参考が全然ありませんでした。そこで参考....