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狭山
「狭山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
狭山の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「象牙の牌」より 著者:渡辺温
ませんのでねえ……』 『僕は何時だったか、坊城から、君があのアメリカ帰りの監督の
狭山氏と何か女の事から面白くない争いをしたって話を聞きましたが――何か、そんな風....
「わが町」より 著者:織田作之助
君枝の頭もぶらんと宙に浮いて、下った。 4 間もなく他吉は南河内
狭山の百姓家へ君枝を里子に出し、その足で一日三十里梶棒握って走った。 里子の養....
「仮装人物」より 著者:徳田秋声
ライブして、晩飯を御馳走になって以来、何か心のどこかに引っ繋りをもつようになった
狭山小夜子も、そのままに見失いたくはなかった。彼女は七年間|同棲していた独逸のあ....
「暗黒公使」より 著者:夢野久作
二十八の年から四十九歳の今日まで警視庁に奉職して、あらゆる難問題を解決して、鬼|
狭山とまで謳われた私の眼力は、この少年の五尺二寸ばかりの身体を眼の前に置きながら....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
いまいい残して行った七兵衛の一言《ひとこと》がそれです。 十四
狭山《さやま》の岡というのは、武蔵野の粂村《くめむら》あたりから起って、西の方、....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
著者の貧弱なる旅行の経験が教える。それは秩父連山の尾根が青梅あたりで尽きて二里、
狭山《さやま》の丘が起るまでの間。 お松は、今その武蔵野の地平線の立つあたりを....
「アド・バルーン」より 著者:織田作之助
じております……。 よくはおぼえていないが、最初に里子に遣られた先は、南河内の
狭山、何でも周囲一里もあるという大きな池の傍の百姓だったそうです。里子を預かるく....
「海豹島」より 著者:久生十蘭
ら火を失し、塩蔵所の一部と人夫小屋を除く以外、全部の建物が烏有《うゆう》に帰し、
狭山良吉という剥皮夫が一名生き残ったほか、清水技手以下五名が焼死したという椿事で....
「勧善懲悪」より 著者:織田作之助
いうからには、あくまで善は急ぐべしと、早速おかね婆さんを連れて、三人で南|河内の
狭山へ出掛けた。 寺院に掛け合って、断られたので、商人宿の一番広い部屋を二つ借....
「美術学校時代」より 著者:高村光太郎
は孟宗竹が密生していた。あの辺は江戸時代からお茶の畑が多く、今でも地つづきに武蔵
狭山というお茶の名産地が残っている程である。そんなわけで所々に家があり、家と家と....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
る。どこの屯でも、その風貌からみて、彼を医師に非ずと見破った者はない。 道は、
狭山ノ池のくびりで半田の部落をのぞいている。そこの木戸でも、おなじ偽称で難なく通....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
の高麗一族をしてその背後を驚かせ、また芳賀貞綱の勢を川越から。武田、薬師寺の軍を
狭山から。およそ三面から総がかりで寸断したものとおもわれる。 この一戦は「太平....
「野槌の百」より 著者:吉川英治
ら、山も」 「山か……」 と、百はちょっと、暗い顔をして、 「実をいうと、あの
狭山は、うちの持山にはちげえねえが、頑固な叔父貴が住んでいて、先祖からの掟をたて....
「俗臭」より 著者:織田作之助
て、物は相談だが、実は、おまはんを見込んで頼みがある。―― 翌朝、二人で河内の
狭山に出掛けた。お寺に掛け合って断わられたので、商人宿の一番広い部屋を二つ借りう....