» 

「猖〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

猖の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
浮浪漫語」より 著者:辻潤
きである。願わくば刻々念々を酔生夢死の境地をもって始終したい。又「浮遊不知所求。狂不知所往」の如きは自分のようなボヘエムにとっては繰り返せば繰り返す程、懐かし....
宇宙の始まり」より 著者:アレニウススヴァンテ
をもたらすものだとしているが、まさにその通りに、これに次ぐ年々の間欧州では疫病が獗を極めて数千の人がそのために墓穴に入ったではないか。』 『さて、星は人間にも....
海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
の列車で帰って来たことなどを話して、諒解して貰った。 ◯中小都市の爆撃が始まり、獗を極めている。そのさきがけは、五月二十九日の横浜市への五百機来襲であった。 ....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
初めて此の病いがはやり出したのは明治二十三年の冬で、二十四年の春に至ってますます獗になった。われわれは其の時初めてインフルエンザという病いを知って、これはフラ....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
大きいがまは絶えず張訓の周囲に付きまとっていた。 一方、かの闖賊は勢いますます獗になって、都もやがて危いという悲報が続々来るので、忠節のあつい将軍は都へむけ....
黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
にいたれり。 (二)ウェトリヤンカ郡民――一八七八年露領アストラカンの黒死病|獗期において、ウェトリヤンカ郡を砲兵を有する包囲線にて封鎖し、空砲発射並びに銃....
記録狂時代」より 著者:寺田寅彦
、レコード熱の盛んなのは当然のことであるが、一九二九年はこのレコード熱がもっとも獗をきわめた年であって、その熱病が欧州にまでも蔓延した。この結果としてこの一年....
什器破壊業事件」より 著者:海野十三
犠牲の大花瓶 小間使ギンヤの什器破壊作業は、その第二日にいたって、俄然獗を極めた。まず起きぬけに、電灯の笠をがちゃーんとやったのを手始めに、勝手元で....
地球要塞」より 著者:海野十三
校を見上げた。 「貴官は、本物でしょうな」 「田島大佐です」 「しかし、第五列が獗《しょうけつ》をきわめているようじゃありませんか。現に私は今……」 「申し訳....
フランケンシュタイン」より 著者:シェリーメアリー・ウォルストンクラフト
に起った最初の不運、いわば私の将来の不幸の前兆が来てしまった。 エリザベートが紅熱を患って、その病状が重く、危篤の状態にあった。その病気のあいだ、いろいろ相....
名古屋スケッチ」より 著者:小酒井不木
らにチラリ、こちらにチラリ、ところ/″\にタクシーが横づけになつて居て、まるで、獗な伝染病流行当時の都市を見る様である。一つしかない名古屋の遊郭だ。こんなこと....
死の接吻」より 著者:小酒井不木
ざわりは、死に神の呼吸かと思われた。 けれども、さすがに近代人である。疫病が「獗」という文字で形容された時代ならば、当然「家々の戸はかたくさしこめられ、街頭....
二階から」より 著者:岡本綺堂
で初めてこの病が流行り出したのは明治二十三年の冬で、二十四年の春に至ってますます獗になった。我々はその時初めてインフルエンザという病名を知って、それは仏蘭西の....
「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
ばれた隼人が奈良朝頃までもなお残存し、東北奥羽の地方には平安朝に至ってなお蝦夷が獗を極めたところのもの、いずれもかつては広く分布していたこれらの先住民族が、中....
三稜鏡」より 著者:佐左木俊郎
となく続いて、再び又暗鬱な雨がじめじめと降り続いた。そして市中には急性のチブスが獗を極めた。私の娘は、この怖ろしい病気に襲われて、僅か三日で死んで了った。私は....