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「猫も杓子も〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

猫も杓子もの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
土曜夫人」より 著者:織田作之助
で佇む若い軽薄な背のずんぐりした娘でも、ハンドバッグと一緒に新聞をかかえている。猫も杓子も読むのだ。しかし、同じ新聞を同じ時にひらいても、一番さきに眼にはいるの....
外套」より 著者:ゴーゴリニコライ
である。これはもう聖なるロシアにおいてはあらゆるものが模倣に感染している証左で、猫も杓子も自分の長官の猿真似をしているのである。こんな噂まである。なんでもある九....
世相」より 著者:織田作之助
時間は十銭で、ニュース館も十銭均一、十銭で買え、十銭で食べ十銭で見られるものなら猫も杓子も飛びついたことがある。十銭芸者もまたその頃出現したものだが、しかしこの....
わが町」より 著者:織田作之助
もなく夕刊配達をよして、東京へ奉公に行った。 9 十姉妹が流行して、猫も杓子も十姉妹を飼うた。榎路地の歯ブラシの軸の職人は、逃げた十姉妹を追うて、け....
名人地獄」より 著者:国枝史郎
であった。「小うるさい花が咲くとて寝釈迦かな」こういう人間は別として、「今の世や猫も杓子も花見笠」で、江戸の人達はきょうもきのうも、花見花見で日を暮らした。 ....
可能性の文学」より 著者:織田作之助
不足なき描写だと、教える。これが日本の文学の考え方だ。最高の境地だという定説だ。猫も杓子も定説に従う。亜流はこの描写法を小説作法の約束だと盲信し、他流もまたこれ....
」より 著者:織田作之助
変ると、私の髪は急激に流行はずれになってしまった。町にも村にも丸刈りが氾濫して、猫も杓子も丸坊主、丸坊主でなければ人にあらずという風景が描き出された。 このよ....
中毒」より 著者:織田作之助
と違うぞというつもりで、卒業するまで煙草は吸わなかった。いいかえれば、私の仲間は猫も杓子も煙草を吸っていたので、私はただ猫でも杓子でもないことを示したかっただけ....
大阪の可能性」より 著者:織田作之助
ねがね伝統的な定説というものが出来ていて、大阪人に共通の特徴、大阪というところは猫も杓子もこういう風ですなという固着観念を、猫も杓子も持っていて、私はそんな定評....
猫と杓子について」より 著者:織田作之助
が、随分生硬でどぎついような気がしますね。そうでしょう……? 言葉といえば、「猫も杓子も」云々という言葉があります。いつ頃出来た言葉か知りませんが、日本人がこ....
大阪の憂鬱」より 著者:織田作之助
から洩れる言葉は、異口同音にこの一言である。 思えば、きょうこの頃の日本人は、猫も杓子もおきまりの紋切型文句を言い、しかも、その紋切型しか言わなくなってしまっ....
夜の構図」より 著者:織田作之助
」――あるいは「流行」といいかえてもいい。権威ある思想、神聖なる観念は流行する。猫も杓子もこれに追従するか、もしくはこれを楯に取る。個性がイデオロギーの中に埋没....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
家に珍重されるだけで、精々が黄表紙並に扱われる位なもんだろう。今でこそ写楽々々と猫も杓子も我が物顔に感嘆するが、外国人が折紙を附けるまでは日本人はかなりな浮世絵....
明治の文学の開拓者」より 著者:内田魯庵
く坪内君の功労である。 坪内君はイツでも新らしい道を開く。劇の如きも今日でこそ猫も杓子も書く、生れて以来まだ一度も芝居の立見さえした事のない連中が一と幕物を書....
四十年前」より 著者:内田魯庵
月ぶりかで再び開かれたが、さしもに流行したダンス熱は一時ほどでなくなった。一時は猫も杓子も有頂天になって、場末のカフェでさえが蓄音機のフォックストロットで夏の夕....