猿橋[語句情報] »
猿橋
「猿橋〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
猿橋の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
は夜の五ツ頃で、夕方から細かい雨がしとしとと降り出していた。今夜のうちに次の宿の
猿橋まで乗り込みたいと思ったが、あいにくに雨が降るのと、駕籠屋も疲れ切っているの....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
のである。一条の勧めに対して信房は、「勝頼公の退軍に殿して討死仕ろう」と答えた。
猿橋辺から出沢にかけて防戦したが、勝頼落延びたりと見届けると、岡の上に馬を乗り上....
「縮図」より 著者:徳田秋声
や出先の姐さんたちに世話も焼かさず、自身で手際よく問題を処理したお早熟もあった。
猿橋あたりへ来ると、窓から見える山は雨が降っているらしく、模糊として煙霧に裹まれ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
とをそれからそれと考えて、大月から駒橋、横尾、殿上《とのうえ》と通って、ようやく
猿橋の宿まで入ることができました。 お松は幼《いとけ》ない時分から諸国の旅をし....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
たりまで行ってみようか知らん」 「勝沼までと言わず、いっそ笹子《ささご》を越えて
猿橋《さるはし》あたりまで行ってみてはいかがでござるな」 「笹子を越えるのはチト....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
よ、こっちのが丹沢で、相模川があそこを流れているんでございます、甲州では例のそれ
猿橋のありまする桂川で、それがここいらへ来ては相模川になります、これからずっと下....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
《くめ》という親分には、頭も尻尾も上らないで、いつぞやは、裸にされて、甲州名代の
猿橋の上から逆《さか》さまにつるされたことがある。その辺を心配してみると、この危....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
たえてしまいました。 「いやな声が聞えるじゃないか、耳のせいか知らないが、甲州の
猿橋《えんきょう》の下へつるされたやえんぼうが、ちょうど、あんな声を出していたよ....
「四国遍路日記」より 著者:種田山頭火
の道よりも今日の道、山と水とがますますうつくしくなる、引地橋ほとりの眺望もよい、
猿橋のほとりも(その街を十時から十一時まで行乞)、仁淀渓谷。 秋の日は傾いたが、....
「香魚の讃」より 著者:佐藤垢石
の馬入村で太平洋へ注ぐまで、流れは奔馬のように峡谷を走っている。中にも、甲州地内
猿橋から上野原まで、また相州地内の津久井の流水に棲む鮎は、驚くほど形が大きい。そ....
「白峰の麓」より 著者:大下藤次郎
ーっと夢のよう、何というやさしい景色だろうと、飽かず眺めつつ過ぎた。小仏、与瀬、
猿橋、大月と、このあたりの紅葉はまだ少し早いが、いつもはつまらぬところでも捨てが....
「火と氷のシャスタ山」より 著者:小島烏水
その熔岩は、シャスタの南麓から迸ったのであるが、ちょっと富士山から、桂川に沿うて
猿橋まで達しているところの「
猿橋熔岩」に似ている。しかし
猿橋の方では、熔岩の延長....
「八寒道中」より 著者:吉川英治
って見え、往来の樹木の梢には、陽の高くなるまで氷柱の花がついていた。 大月から
猿橋へかかって、桂川の渡舟に姿を見せた三五兵衛は、その渡舟には乗らないで、小篠と....
「日本の伝説」より 著者:柳田国男
十間もあって、甲斐国では、一番大きな、また古い橋でありましたが、この橋を渡る間に
猿橋のうわさをすることと、野宮といううたい 九州の南の端、薩摩の開聞岳の麓には....