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「猿若〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

猿若の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
し出した。 「あの佐倉宗吾の芝居は三代目瀬川|如皐《じょこう》の作で、嘉永四年、猿若町《さるわかまち》の中村座の八月興行で、外題《げだい》は『東山桜荘子《ひがし....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
って、なかなか大きい村でした。押上の大雲寺といえば、江戸でも有名な浄土宗の寺で、猿若《さるわか》の中村勘三郎代々の墓があるせいか、ここには市村羽左衛門とか瀬川菊....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
る。放火は流行る。将軍家は二月に上洛、六月に帰府、十二月には再び上洛の噂がある。猿若町の三芝居も遠慮の意味で、吉例の顔見世狂言を出さない。十一月十五日、きょうは....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
一 「年代はたしかに覚えていませんが、あやつり芝居が猿若町から神田の筋違外の加賀ツ原へ引き移る少し前だと思っていますから、なんでも安....
三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
いゝのや、手廻しの好いのは、もう本普請をすませて、みんな商売をはじめていました。猿若町の芝居も蓋をあけるという勢いで、よし原の仮宅は大繁昌、さすがはお江戸だと諸....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
はなかなか芝居の消息を諳んじている者もあって、今度の新富チョウは評判がいいとか、猿若マチは景気がよくないとか、車上の客に説明しながら挽いてゆくのをしばしば聞いた....
南蛮秘話森右近丸」より 著者:国枝史郎
、風変わりの二人の男女によって、こんな会話が交わされていた。 8 「随分遅いな、猿若は」 こう云ったのは男である。四十格好、大兵肥満、顔はというにかなり凄い。....
京鹿子娘道成寺」より 著者:酒井嘉七
だそうでございます。 × 「あの、河原崎座の小屋は、御存じの通り猿若町の表通りにございまして、裏は細い通りになっております。――つまり、猿若町の....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
下座でつけを打つ男のような恰好をしておられましたよ」と話しました。 芝居だって猿若座を一度か二度しか見ていないのですが、何だか様子が違って見えたのでしょう。 ....
ある恋の話」より 著者:菊池寛
くれました。江戸の十八大通の話だとか、天保年度の水野|越前守の改革だとか、浅草の猿若町の芝居の話だとか、昔の浅草観音の繁昌だとか、両国の広小路に出た奇抜な見世物....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
―「勧進帳」の訂正――狂言作者志願――浄瑠璃本濫読――黙阿弥の正本 鶴蔵と伝五郎猿若町の市村座――新蔵のお三輪――弥次喜多の芝居――磐梯山噴火――盂蘭盆の舞台面....
島原の夢」より 著者:岡本綺堂
はなかなか芝居の消息を諳んじている者もあって、今度の新富チョウは評判がいいとか、猿若マチは景気がよくないとか、車上の客に説明しながら挽いてゆくのをしばしばきいた....
源之助の一生」より 著者:岡本綺堂
。その黄金時代は明治二十三年であった。 二十三年の七月、市村座――その頃はまだ猿若町にあった――で黙阿弥作の『嶋鵆月白浪』を上演した。新富座の初演以来、二回目....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
あまり繁瑣にわたることを避けたためである。(岡本綺堂) ○天下の形勢不穏のため、猿若町の三座とも正月興行を休み、二月に至りて漸く開場。 ○五月十五日、市村座と守....
雷門以北」より 著者:久保田万太郎
たしの近所からはあんまり通わなかった)北はその花川戸、山の宿、金竜山下瓦町。――猿若町、聖天町を経て、遠く吉野山谷あたりから来るものばかりだった。まれには「吉原....